立教大学2012年度前期「高等教育の歴史的展開(新座)」(担当者:兼任講師二宮祐)は4月11日(水)から始まります。時限は2限、教室はN313です。カリキュラム改革のために若干複雑なしくみになっていますが、学年にかかわらず受講できます―2011年度以前1年次入学者履修不可、2012年度以降1年次入学者履修不可というのは、つまり誰でも受講できることを意味しています。購入する必要があるテキストはありません。
この講義では CHORUS を利用します。担当教員からの連絡、レポートの提出などに不可欠ですので利用方法を習得して下さい。CHORUSの利用が不安である、教室移動やノートテーキングの手伝いが必要である、日本語が苦手である、レポート執筆を特に苦手としているなど場合、担当教員に相談して下さい。担当教員は毎回の講義後、なるべく教室や廊下に残るようにしています。感想や質問があればどうぞ。なお、成績評価の割合は、レポート40%(中間)、レポート40%(期末)、口頭試問20%です。レポート試験ではありませんので「追試験」を実施しません。
第1回は、担当教員の自己紹介、講義概要の説明、「なぜ大学で教養を『学ぶ』必要があるとされてきたのか」という問いについての簡単な導入、大学の不思議なしくみについての質疑応答などを行う予定です。
担当教員が高等教育を研究対象にしてきた個人的な理由は、じぶんの学生時代の大学生活に関する極めて強い違和感にあります。現代的な言葉を用いれば、アルバイトが「居場所」化したり、毎日の生活が「ぼっち」だったりしました。当時、この違和感はじぶんだけのものだと考えていました。大学を卒業して企業に就職した際、とても開放的な気分になったことを覚えています―ようやく、あの奇妙な空間から抜け出すことができた、と。実際に、就職してからの毎日の方が楽しかったのです。
その後、研究を進めるにつれて、どうも少なくない学生が学生生活に対するいろいろな悩みを持っている、じぶんだけが悩んでいるわけではない(←あたりまえですね)、そもそも大学における独特のしくみや、社会とそのしくみの関係が影響しているのではないか、ということがわかるようになりました。第1回ではもう少し詳しい話しをしたうえで、高等教育の歴史を学ぶことの意味を考えたいと思います。