「二つのライフ」

高大接続の本質―「学校と社会をつなぐ調査」から見えてきた課題 (どんな高校生が大学、社会で成長するのか2)

高大接続の本質―「学校と社会をつなぐ調査」から見えてきた課題 (どんな高校生が大学、社会で成長するのか2)

タイトルは『高大接続の本質』であるが、前半は1997年から行われている溝上グループの研究の総括である。後半において、その研究結果をふまえて高大接続に関する論点提起が行われている。
現在では大学生を対象とした研究はたくさん実施されている。しかし、溝上グループの研究開始時点では、それほど盛んであったわけではない。その状況の問題は、本書コラム1(22頁)で米国では昔から大学生研究が行われてきたこと(たとえば、UCLAのCIRP(COOPERATIVE INSTITUTIONAL RESEARCH PROGRAM))がわざわざ紹介されていたり、2000年代になって確かに正課教育に関心を持った調査は行われるようになったものの、それとキャリア支援・教育への関心が重なることはなかったこと(23頁)が説明されていたりすることからもわかることである。
一連の研究の中で、わかってきたことの一つが有名な「二つのライフ」の関係論である。

「あなたは、自分の将来についての見通し(将来こういう風でありたい)を持っていますか」という将来の見通しの有無をまず尋ね、“持っている”と回答した者には引き続き、「あなたはその見通しの実現に向かって、いま自分が何をすべきかわかっていますか。またそれを実行していますか」という、将来の見通しの実現に向かって日々何をしたらいいか、それを行動に移せているかの理解実行を尋ねている。
18頁

そして、溝上グループの研究をご存知ではなくても、この「二つのライフ」は学習意欲に関係することはすぐに思い付くであろう。実は、私はかつての勤務先のFDで溝上先生にお世話になり、「二つのライフ」について調査を実施したことがある。「見通しあり・理解実行」がかなり少ない(もちろん、職業的レリバンスの高い、いや、高く見えるような学部ではやや高い)、「見通しあり・理解・不実行」が多い、「見通しあり・不理解」、「見通しなし」もそれなりに多いという結果を見て、さて、何ができるだろうかと議論をしたのである。そこから、その勤務先におけるキャリア意識、現在の言葉でいうところの「アクティブ・ラーニング」、IRなどについての課題が出てきたのであった。
ところで、私は高大接続に関する調査をあまり追えていなかったので、本書は勉強になった。同調査の結果の一部は次のようにまとめられている(86-87頁)。

<1>高校2年時における4つの資質・能力は、大学1年時のそれぞれの資質・能力に大きく影響を及ぼす。(二宮注:4つの資質・能力とは複数の回答項目を統計的にまとめて、他者理解力、計画実行力、コミュニケーション・リーダーシップ力、社会文化探究心と名付けたもの)
<2>大学1年時で主体的な学習態度を持っていることが、資質・能力を身につけるために、アクティブラーニング外化を行うために重要である。
<3>大学1年時の主体的な学習態度は、同じく大学1年時の二つのライフで説明される。その二つのライフは、高校2年時のキャリア意識に大きな影響を受ける。
<4>高校2年時の資質・能力のなかでも、計画実行力は大学1年時の主体的な学習態度に影響を及ぼし、コミュニケーション・リーダーシップ力は同じく大学1年時のアクティブラーニング外化に影響を及ぼす。
<5>特にジェンダー、大学偏差値、学部学科、中高一貫の属性・社会的要因が、資質・能力や学習、キャリア意識に影響を及ぼす。
<6>高校2年次の勉学タイプ、勉強そこそこタイプは、大学1年時の学びと成長(資質・能力・学習、キャリア意識)につながる生徒タイプである。授業外学習を行う、キャリア意識が高い、対人関係、自尊関係が良好であること、すべてをバランスよく持ち合わせることがポイントである。(二宮注:生徒タイプとは複数の回答項目を統計的にまとめて、勉学タイプ、勉学そこそこタイプ、部活動タイプ、交友通信タイプ、読書マンガ傾向タイプ、ゲーム傾向タイプ、行事不参加タイプと名付けたもの)

この結果は初年次教育関係者にとっては、経験的にわかっていることであるとはいえ厳しいものである。筆者も指摘していることだが、たとえば、高校時代に家庭学習をする経験のなかった生徒が大学入学後にそれをするようになるのは難しいのかもしれない。どうすればよいだろうか。
私が半分程度納得する点1つと疑問を覚える点1つは次のことがらである。まず、半分程度納得する点は大学教育の内容・方法に関する工夫の開始が遅かったということである。

天野(2006)が述べたように、1990年代以降今日までの大学教育改革は、本来なら1970~80年代に行っておくべきだったものの後始末である。高度経済成長を経て経済大国として確立した時期、そして学校から仕事へのトランジションが幸せなことにもうまく機能していた時期にやりすごしてしまった教育改革を、バブル崩壊後の国内・国際的な仕事・社会の変化に対応しながら、さらなる少子高齢化やAIなども加味しながら進めているものである。
148頁

レジャーランド、カルチャーセンターなどと揶揄されていた時代に、どうしてそれをそのままとしていたのかという問題提起でもある。半分程度という留保を付けたのは、大学は大きなタンカーのような組織なので、臨機応変に舵を切ることが難しいためである。相応の時間が必要であったのかもしれない。そして、疑問を覚える点は、はてさて、高校、大学のその先において、何のために「自律的な学習者」になることが必要なのかということである。企業と連携した調査もあることから、見方によっては立派なビジネス・パーソン、企業人になるためのそれであると把握されるかもしれない。しかし、当然のことながら(言い古された言葉だが)大学は就職予備校ではなく、商売に有利というだけでは伝統的な研究者からの賛同は得られないかもしれない。将来の商売とは異なる次元での「自律的な学習者」になることの意味を考察したいところである。