学校から仕事へのスムーズでもなく、間断のないこともない移行

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執筆者のお一人からお送り頂きました。ありがとうございます。

問題意識は次のように示されている。

若年層の教育および職業キャリアをめぐる状況は近年大きく変容してきたといわれる。広く社会的にも話題となっているフリーター・ニート問題のみならず、高校と企業を繋いでいた学校経由の就職システムの揺らぎ、少子化と大学数の増大による進学チャンスの拡大、就職協定廃止や長期不況の影響による大卒就職活動の長期化やインターネット利用による就職メカニズムの変容、学卒後3年以内の離職率とジョブマッチングの問題等々、この領域に関連して実態解明が求められているテーマは多岐にわたる。多くの若者たちの教育・職業・生活の軌跡を追い続ける「若者の教育とキャリア形成に関する調査」を私たちが企画・実施したのは、まさにこうした多面的問題を解明する基礎資料を得ることを目的としたものといえる。
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考察の対象は、若者の労働経験、若者と家族、地域移動、学校と不平等、人間関係、困難な暮らしなどである。幅広く重要な論点が網羅されている。私がとりわけ関心を持ったのは、第11章「学校経験と社会的不平等―『意欲の貧困』を手がかりに」である。思い起こせば、苅谷剛彦『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)』が発行されたのは2001年のことである。「新学力観」のもとで「興味・関心」、「内発的動機づけ」が重視されるようになったものの、社会階層毎の学習意欲に格差の拡大が進んだのではないかと問題提起が行われたのであった。「階層と教育」の問題は、不平等が拡大再生産されていくという「新しいフェーズ」に入ったとさえ呼ばれていた。それから16年が経過して、さて、どうなったであろうか。
パネル調査のうち、2011年の第5回調査の結果の分析では、頑張ることを困難にさせる「意欲の貧困」は経済・健康に関わる生活の状況や、本人の学歴と関係しているという。また、学校経験によって得られた進路展望や人間関係は、生活の状況や本人の学歴とは独立して「意欲の貧困」に影響を及ぼしていて、かつ、そもそも豊かな学校経験は父学歴や本人学歴によって影響されているとのことである。すなわち、苅谷が提起した問題は、依然として存在しているといってよいのだろう。
そうした分析をふまえたうえで、トラッキングによって特に厳しい状況に置かれている中堅普通科高校を想定して、教育内容の文脈付けを行う必要が提起されている。論考の射程を超えてしまうことなのであるが、私としてはもう少しその詳細を知りたいところであった。というのも、教育の職業的意義を重視して「柔軟な専門性」を獲得しつつ労働問題へ適切に対応できるようになることを主張する本田由紀と、職業教育の重要性を認めつつも、政治的教養を重視して能動的な市民として振る舞えるようになることを主張する広田照幸とを紹介しつつ、両者は主張は異なるものの具体的な文脈と教育とを繋げる点では共通しているとまとめているのだけれども、私は第1に、「意欲の貧困」にとっての「効果」や「意味」について両者は同じではないような印象を持っていて、その点をどう考えられるだろうかということ、第2に、その具体的な文脈を考慮した教育は系統主義/経験主義の論点をくぐらせてみると、どのようなものとして具現化するのだろうかということを考えてみたくなったのである。

全410ページの厚い本である。会読の機会を設けてみたい。