「社会を知る」キャリア教育

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ナカニシヤ出版様よりお送りいただきました。ありがとうございます。

類書との違いは「社会を知る」というテーマが、全体の3分の1ほどを占めていることである。最近はそうではないキャリア教育のテキストは増えてきてはいるものの、かつて大学生が読むテキストの多くはアカデミックな背景を持っていない企業人、MBAホルダー、フリーライターによって執筆されていて(学者向けの理論書はそれなりによいものもあった)、ややもすれば大学生の「自己責任」を強調することが多かった。たとえば、大学生のうちに「社会人基礎力」を身に付けることが就職するために必要である、「自己分析」を綿密に行って就職後の「ミスマッチ」を防ぐべきである、といった主張が頻繁に行われてきた。しかし、こうした主張はあくまでも企業にとって有利な観点から行われているものであり、大学生にとっても同じメリットをもたらすかどうかは不明である―たとえば、仮に「社会人基礎力」が必要なスキルだとして、それを身に付けるためのコストを負担するのが誰であるべきかという問いを隠すことによって学生にこっそりと転嫁している、あるいは、「ミスマッチ」が生じれば転職すればいいだけのことであり、その場合に明確に損をするのは採用活動に経費をかけた企業である。また、そもそも、どれだけ「自己分析」を行って「マッチ」する企業に就職したとしても、その企業が労働法を守らない場合に学生、若手職業人の「自己責任」を強調するばかりではどうしようもない。さらには、「自己分析」をしたところで、結局は需給バランスの問題で「マッチ」する企業、安定した企業に就職できたりできなかったりする。やはり「自己責任」ではどうしようもない。
ところで、「企業の社会的責任」とは何か、その指標にはどんなものがあるか、それを投資家はどうのように利用しているか?就業規則とは何か、整理解雇とはどういう意味でどんな要件が必要なのか?ブラック企業、ブラックバイトとは何か?ジェンダー・ギャップ指数、ポジティブ・アクションとは何か?福利厚生とは何か?社会保険とは何か?一般の職業人でもこうした質問に対して的確に答えるのは難しいのではないだろうか。何となくネットのまとめサイトの情報に依拠してイメージできるかもしれないけれども、実のところ知らないことばかりである。じぶんの身を守るために必要な知識をこうしたテキストから得るのも良いことであろう―もちろん、ここで紹介した問いの答えはこのテキストに掲載されている。
時折、理工系の教員から、キャリア教育の授業での「自己分析」や業界研究もいいのだけれども、労働法や社会保険についての知識を学生に身につけさせたい(毎年のように、塾のブラックバイトに騙される学生がいる、研究室教育にも支障が生じるなど)と相談を受けることがある。社会科学系の学部学科では専門の授業の中でそうしたテーマへ言及されることがあるのだけれども、理工系ではあまり機会がないことゆえの問題提起である。キャリア教育の課題として、引き取るべき論点である。