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学校教員の仕事について丁寧に考える

お送りいただきました。ありがとうございます。依然として教師論は(も)不勉強なので、しっかり読む所存でございます。


目次は以下のとおりである。

プロローグ 90年を隔てた2つの出来事―大川小被災と小野さつき訓導殉職
第Ⅰ部 日本の教師たちの今日的な受難
第1章 ある新採教師の被災事件が教えること
第2章 教師1年目は特別に難しくなっている
 第3章 教師たちが置かれた圧迫状況とその背景要因
 第4章 教育改革・教育政策が進める「行政犯罪」
第Ⅱ部 教師たちの仕事柄の歴史的・文化的考察
 第5章 学校教師という存在の歴史的・社会的な特徴
 第6章 教師の教える仕事の意外なほどの難しさ
 第7章 教員文化・学校文化という存在とその働き
 第8章 「文化の共有関係」はどう衰退したか
第Ⅲ部 日本の教師たちのアイデンティティと希望
 第9章 教師には教職アイデンティティが必要である―国際比較調査から
 第10章 日本の教師たちが持つ「教育実践」志向
 第11章 教師の教育活動が教育実践として生きて作用するために
 第12章 日本の教員文化の再構成をめぐる課題―苦難から希望へ

 筆者がまえがきで「それまではむしろ、教師層が持つ特有の体質のようなものにやや批判的な文章も書いていたのだが、90年代半ば以降は(その特有の体質への批判はあっても)いま置かれている状況のひどさのほうが、もっと重要だと考えるようになった」(1頁)と書くように、教員文化研究はもちろん教師のありように対して是か非かを突きつけるという単純な二項対立の評価を持ち込むなどというのではなく、特有の体質ゆえに生じることの結果から、その複雑に絡み合う要素を解きほぐしていく仕事をしてきた。その体質の中には、たとえば1986年の東京・中野区の中学校における事件にみられるように、批判的に論じられて然るべき要素もあったわけではあるが、しかし、90年代半ば以降の社会の多様な変化はもともとの体質とあいまって学校教員という職業を格段に難しくさせたということなのであろう。学校教員に対して、その表層的な一部分だけを取り出して否定的な印象を持っている方々にぜひ読んでほしいのである。
 学校教員が圧迫を感じる背景として、次の3点が挙げられている(59-61頁)。第1に、いわゆる対人援助職と同じように、相手の反応を気遣う必要である。しかも、それは一人だけの反応を見つつ、同時に、教室全体の反応を見ていなければならない。これは筆者ではなく私の印象であるが、勤務時間が終わったから相手のことを考えなくてもよいとはならず気が休まる時間がない。このことは他の職業とは大きく異なるだろう。第2に、新自由主義価値観を持ちつつ、さらに、ごじしんが厳しい生活を強いられているかもしれない、児童、生徒の親によるクレームである。かつてのように先生は立派なのだからすべてお任せしたい、何か要望を伝えるなんてとんでもないという親は減っているのだろう*1。学校のサービス産業化による困難である。第3に、教員を多忙にさせたり、その専門職性を貶めたりする教育政策である。これは、おそらく第2の点と密接に関連していることであって、やや粗雑に言うことをお許し頂ければ、教育行政対教員・家庭と対立枠組みが、教育行政・家庭対教員に変化したということだろうか。確かに、厳しい困難である。
 そして、歴史的・社会的な特徴を考えるということは重要である。このブログでも繰り返し取り上げていることだが、メディアで取り上げられる学校教員の不祥事については割り引いて理解しなければならない。民間企業の従業員が不祥事を起こしてもメディアはあまり取り上げず、他方、公務員、学校教員については報道される傾向があるという固有のバイアスが存在する。そのうえで、そもそも学校教員は数が多いのである。それは、近代国家がその成立のために学校を必要とするからであって、現代では初等中等の本務者だけで100万弱の数である。それに幼稚園、大学・大学院、各種学校専修学校(それらとは一部の重なることもある大学校、塾・予備校、おけいこ…)を加えれば、そして、非常勤、嘱託、派遣等の不安定な雇用による層を加えれば膨大な人数である。この人数の多さが処遇の低さにつながるのである(94頁)。もちろん、不祥事はあってはならないわけではあるが、長時間労働、低賃金(同世代の他業種に比して)、さらには、近年では非正規雇用という制約の中で教員は難しい仕事に従事しているのである。
 学校教員という職業について分析的に捉えるために必読の書である。

*1:テレビドラマ「あばれはっちゃく」の父ちゃんを思い出そう。子どもが問題を起こしたら、どうするか。