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サブカルチャーという言葉から連想されるものではなく

楽しみにしていた書籍が出版された。分野が異なるので読み進めるのに時間がかかってしまったのだが、とりいそぎ1回通読しての所感である。
本書の課題はこうである。

そこで本研究は、イベント「二〇〇八年北海道洞爺湖G8サミット抗議行動」を通じた人間関係の変容と、活動家たちの間でどのようなこだわりやしきたり、規範や常識が伝達され、融合し、ときに衝突するのかを明らかにする。これによって、活動家たちの運動サブカルチャーを形成する文化的コードがいかに形成され、再生産されるのかを検討する。
16頁

そして、「イベント」、「出来事(非日常)」と「日常」、「組織」と「個人」、「動態」と「静態」といった鍵概念を用いながら、資源動員論や「新しい」社会運動論といった従来の分析視覚では捉えきれない現代における運動の性格を解明しようとする。これらのかつての諸概念は拙ブログ主が学部生の頃や大学院生の頃に習ったものであるが、それらでは運動における「個人」のありようを焦点化できないというのである。思い起こせば、確かに2015年のSEALDsによる国会前の抗議行動に集う「個人」(たとえば、日常的な運動には参加しないもの、会社帰り、学校帰りにちょっと寄ってみようかという動機によって参加する「個人」)もまた、社会運動論の学術的なタームでは捉えきれないものであったかもしれない。そういえば、希望のない国だからこそ若者は幸福であるのだからデモなど起こるはずがないという一部の社会学者による展望の読みの誤りも、おそらくまだ総括されていない。

明らかにされたことの要約の一部は以下のとおりである。

しかし本書では、サミット抗議行動を徹底して「イベント」として検討することにより、社会運動の先行研究が捉えそこねてきた、他の社会運動にも共通して見られる要素を浮き彫りにしようとしている。それは主観的な経験に焦点を当ててきた経験運動論もまた捉えそこねてきた、言うなれば「政治的な体験に共通する経験のあり方」である。第四章から第七章までを通じて見られた、性や民族に対する差別をどう処理するかという問題、活動家たちを管理するのか、自発性に任せるのかといった間での苦悩、動員を広げるか、運動の原則を徹底するかといったジレンマなど、本書がサミット抗議活動と、他の集合行動の分析を通じて明らかにしてきた要素は、各章でも言及してきた通り、日本と海外とを問わず先行研究が断片的ながら明らかにしてきた要素と多くのところ重なる。
306頁

さて、細かい疑問点は次のとおりである。第1に、ウッドのいう「熟議」についてである。本書ではボトムアップ型の意識決定を行う組織の中には、運動を進めるための「熟議」が存在することがあるという。そこで、ここでの熟議とは「その手法の意義や目的について納得するまで議論を行う」(133頁)ことを含意していると読める。その場合、それがいわゆる熟議民主義の学説とどこが同じでどこが違うのか、また、いかなる状態を指して「熟議」が行われたとみなすことができるのか、私にはわかりにくいと感じた。第2に、第四章で示される多変量解析の結果についてである。表4-2「組織の性格と次数中心性の関連」(124頁)は274の団体を複数のルールに基づいてコード化した上で回帰分析を試した結果、表4-3-2「重回帰分析の結果」(147頁)は37名の調査対象者の背景を説明変数として回帰分析を試した結果であるのだが、紙幅の都合という問題があったためか、必ずしもその分析に至るまでの過程の説明が十分であるとは言い難いだろう。専門分野の異なる私としては基礎的な分析が紹介されるかとよかったとも思う。第3に、インタビューデータの分析方法についてである。当然のことながら、分析枠組みについては丁寧に説明が行われていて、かつ、この枠組みこそが本書のもとになった博士論文の重要な貢献の一つでもある。他方、最近問われることが多いような方法、データ解釈の妥当性という問題に対してどのように応答したのか気になるところであった。

ともあれ、私がこれまで抱いてきた謎について、幾ばくかのヒントをもらったような気がしている。講義で社会運動に言及すると、学生から拒絶するかのような反応を貰うことがある。政治活動は投票に限定されるべきで、それ以外の方法(署名、投書、陳情、デモ、政治献金・・・)はあまり良くないし、自らが行うこともないという種類の否定的な姿勢である。この良くないという主張の背景を理解できていなかったのであるが、もしかすると、それは運動に関わる人びとのライフスタイルが学生にとっては身近ではなく、それゆえに嫌がるのかとも想像したのである。第七章の活動家二世、ほんらいは活動に反対するであろう宗派の二世による複雑な思いについての語りは、そうした学生のことも思い出させるものであった。