他者の意見を参考にして記述する方法には「引用」と「参考」がある。この両者の違いはとりあえず、「引用」はそのままのかたちで文章を引き写すことであり、「参考」は文章を自分なりに要約することである、と覚えておこう。このエントリでは次の2冊の文献を事例として、その両者を確認しよう。

「就活」と日本社会―平等幻想を超えて (NHKブックス No.1227)

「就活」と日本社会―平等幻想を超えて (NHKブックス No.1227)

大卒就職の社会学―データからみる変化

大卒就職の社会学―データからみる変化

前者の著書をA、後者の所収論文 小山治「8章 なぜ企業の採用基準は不明確になるのか:大卒事務系総合職の面接に着目して」をBとする。

A1
(1)は、「面接場面では、意図的か無意図的かにかかわらず、評価用紙記載の評価項目以外の要素も拡張的に評価対象とならざるをえず、しかもそうした拡張的な要素が合否を決定しうるという点」である。
(常見2015 p.102 l.16-p.103 l.3)

B1
この概念で重要なのは、面接場面では、意図的か無意図的かにかかわらず、評価用紙記載の評価項目以外の要素も拡張的に評価対象とならざるをえず、しかもそうした拡張的な要素が合否を決定しうるという点である。
(小山2010 p.213 l.3-6)

A1はB1を一重カギ括弧で引き写した部分を明示した「引用」である。当然のことながら文章は正確に写されていて、修正は加えられていない。引用部分が長くなったり、途中で省略したかったりする場合には、別の方法があるので調べてみよう。なお、Aは別の箇所でBの出所を明示しているので、いちいち引用部分に出所の表記(著書の苗字 出版年、ページ数)をしていない。研究論文ではないため許容されるだろう。
もう一つの方法である「参考」については、実はこの2冊の文献から事例を示すことが難しい―よく見かける方法は「○○○によれば、(以下要約)」というものである。では、たとえば、次のA2はB2を要約しているといえるだろうか。

A2
学生は答えを用意しているので、そのまま受け取ってしまうと、合否の判定が困難になるということである。こうした学生の準備行動があるため、企業は機械的に合否を決められない。
(常見2015 p.103 l.2-4)

B2
学生の準備行動があるため、企業は学生の回答内容自体から機械的に合否判定を行うことが困難になっていると考えられる。
(小山2010 p.214 l.25-27)

A2に一重カギ括弧がないので要約なのだろう。しかし、要約とは文章のなかで重要なところを短くまとめて示すことである。私にはA2はB2を要約しているとはいえず、同時に、利用されている特長的な語彙―準備行動、機械的―が同一であることから言い換えに成功しているとは言いがたいようにみえる。出所の表記がないので定かではないが、もしかするとA2が要約したり、言い換えたりしたというのはB2ではなく、他の場所であるのかもしれない。私には該当箇所を見つけられなかったということを付記しておきたい。あるいは、A2は小山論文全体の要約なのかもしれない。この場合には、後述するようにその他の要約の信憑性が問題になる。なお、私ならばこの程度の言い換えであれば「参考」ではなく「引用」にしておく。「参考」はもっと大きなまとまりのある文章をまとめて示すことである。とはいえ、この事例に限らず、私は「引用」よりも「参考」を勧めている。「参考」において自らの言葉でまとめ直すことでその論文の理解が深まるのである。ただし、これまで私がいつもそのように心掛けてきたとは言っていない(ごめんなさい)。「引用」をするのは特別に何かしらの意味合い、たとえば歴史的に重要な表現がその箇所に存在する場合以外、どこか論文の正確な理解に自信がないときであった(ごめんなさい、1文ぶり2回目)。
さて、要約の信憑性についてである。第一に、Aは「採用基準として求める能力要素等が増えていく」(常見2015 p.102 l.7)とBは主張していて、一定の留保を付けたうえでまことにそのとおりであるという。しかし、私が見る限りBは採用基準が拡張するとしか言っていない。これは大きな違いである。要素が増えるわけではないからである。拡張というのは何かが広がって大きくなることである。学術論文であればこの違いに注意するべきであるのだろうが、一般書では見逃されてしまう。第二に、Aは「徐々に内定者が増えていって募集枠が埋まっていくことによって、採用の基準が上がっていく」(常見2015 p.102 l.8-9)とBは主張していて、同様に留保付きで納得できるという。しかし、私にはBは採用基準は揺れ動くとしか言っていないように見える。Aの書き方だと不可逆的に基準が上がっていくわけである一方、Bは採用時期の前半においても基準が高いことがあるという事例をも提起したうえで、その揺れに焦点を絞っている。このことも一般書だからといって看過されてしまってよいのだろうか。この2つの、とりわけBの中心的な主張に関する要約に疑問が残っているので、その他の箇所の要約についても必ずしも信頼を置くことができなくなってしまう。
以上、細かい指摘であると思うかもしれない。しかし、学術論文であれば、その第一歩となる学生のレポートであっても「引用」、「参考」には万全の注意が必要であって、細かい違いだからといっていい加減な文章を書いてはならない。パラフレーズの練習も!いきなりスポーツの試合に出場するのではなく、まずはその基本動作やルールを覚えよう。不正確な「引用」(=改変コピペ)、自分の主張に合うように都合良くまとめた「参考」と思われないために



追記:もちろん、このエントリではA、Bの内容の妥当性については何も言及していない。「現実」の説明としてより相応しいのはどちらだろう、という問いは立っていない。「現実」はある枠組みを通すことによって、はじめて見えてくるものだから。