昨日の(1)の続きである。
投影法の検査による選考は問題外として、質問紙法についてもまだまだ検討しなければならないことがたくさんある。拙論でも言及したことであるが、そもそも質問紙法、とりわけその中でも性格検査についてどれだけの人事担当者がその理論的背景を理解できているだろうか。いわゆる「コスパ」の追及や人事担当者の手間の削減ばかりに気を取られて性格検査を選定していないだろうか。

性格検査には「正答」がある! ──就職適性検査対応

性格検査には「正答」がある! ──就職適性検査対応

ところで、SPI対策に関するテキストを大量に集める際、タイトルだけを見て購入したものである。そのため、実のところ当初は期待していなかった。ところが、筆者は心理学を研究して博士後期課程を修了しているとのことで、性格検査について十分な知識を持っていることが窺えた。一通り、初学者に対するようにわかりやすく性格検査の概要を説明した後で、次のような提案をしている。

目上、年上の人のお宅におじゃまして部屋に通され、「どうぞお楽に」と言われたからといって、あぐらをかき、タバコを取り出して、「灰皿ありますか?」などとは言わないでしょう?
実際はどうであれ、あなたの考え方がどうであれ、主義主張が絡むほどのことではないのですから、常識にかなった答えをしておきましょう。「こう聞かれたら、大人としてはこう答えておく」という礼儀であり、常識であり、お約束である答えをしておきましょう。
こんな所で正直に、ありのままのあなたの姿をさらしても、何の意味もありません。普段だらしなく寝そべってばかりいる人が居住まいを正しても、相手をだますわけではありません。礼儀を守っているだけです。礼儀を守っても、あなたは何も損はしませんし、相手も気分良く対応できます。
損をするとしたら、このような質問文を作ったり、回答を受け取り解釈する人達のほうですが、くだらない直球の質問をするからいけないのです。自業自得です。
ほとんどの適性検査における性格検査は質問文が練れてなく、このような明確な直球が多いので、判断は簡単なはずです。
同書54-55頁

確かに、私は性格検査というと「まじめに」「本音を」回答するべきものであると思い込んでいた。あるいは、妙に作為を施した回答をした場合、かえって不利を被るのではないかとも恐れてしまう。しかし、選考のためのテストにおいては常識を答えるべきだという主張はその通りである。
ただし、この常識を答えるというときに、質問紙法の問題の一つが浮かび上がる。それは英語から日本語に翻訳をした際のあいまいさについてである。たとえば、YG性格検査(矢田部ギルフォード性格検査)には「のんきさ」という尺度がある。「のんきさ」が強いほうが常識なのか、弱いほうが常識なのかよくわからない。もともとは rhathymia という尺度名称であるので「楽天的」と表現された方が私にとっては理解しやすい。すると「厭世的」よりは「楽天的」の方が良いだろうから、この尺度は強くなるように答えるべきなのだろう。同書においても「のんきさ」を判断する「9 大勢ではしゃぐのが好きだ」は肯定的に、「21 じっとしているのは苦手である」も肯定的に、「33 よくしゃべる方である」は肯定的または?に回答することを勧めている。
こうした翻訳の問題は、MMPI(ミネソタ多面人格目録)でも指摘され続けてきたことである。MMPIは総合検査SPIの開発に際して参考とされた検査であって、当時はこの翻訳をめぐって問題を抱えていたことが知られている。そのため、臨床の現場ではあまり利用されなくなっている。しかし、にもかかわらず、社会学者の岩本健良(金沢大学)の研究によれば人権への配慮を欠いたまま、現在でも教員採用試験や公務員採用試験で慣習的に採用されているという。性格検査のワーディングにはこのような翻訳の問題、あるいは、専門家が関与しないで作成されたことによる問題がある。たとえば、社会学で行う質問紙調査では絶対に使えないような表現が用いられていることもあるのだ。
シューカツ生への実践への助言としては、そうはいっても、性格検査について過度に不安になる必要はないだろう。それでもなお、たとえば「のんきさ」って何だろうというように性格検査の設問文にひっかかりを強く感じる場合、ひとりでこうした対策本を使いこなすのは難しいので、ぜひキャリアセンターの職員、教員とよく相談してほしい。