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研究者の世襲のような話題を見たので、短い「自分語り」をしてみる。なお、このエントリは父親からの削除要請があれば、それに応じる予定である。


私の父親は研究者ではない。大学卒業後、商社に長い間勤めていた。これだけを書くと、大卒「商社マン」の子どもである私が研究者になったという、なんともつまらない話しだろう―経済資本が文化資本に転換した「わかりやすい」話しである。では、説明を加えると面白くなるだろうか。


私の父親は研究者ではない。西日本の山奥の小さな村―現代でも県庁所在地から特急列車1つ、バス2つを乗り継がねばならない―の中学校を卒業した後、寮のある高校に進学した。当時、ベビーブーマーを工業科に進学させる政策が全国的に進められていた。生徒にとって、特に受け継ぐ資産―家、田畑―を持たない男子生徒にとって、工業科への進学は農村の厳しい生活からの「離陸」を意味した。しかし、自宅から通える範囲に高校はない。高校進学率は全国平均で50%を超えていたとはいえ、都道府県によってはまだまだ50%に達していない。そこで、きょうだい約10名のうち数少ない高校進学者になって寮生活を始めるようになるのである。なお、女子のきょうだいの多くは高校進学を果たしていない。いまだにそうした親類から高校に進学できなかったことの悔しさついて話しを聞くことがある。悔しさを感じるということはまさに高校進学率が高まってゆく過渡期であったのだ。なお、そんな進学傾向の男女差に対して東京区部出身の母は驚くことになるのである。目黒の中学校の同級生は仲間のほとんどが高校に進学していた、勉強がどれほど苦手であっても私立高校ならば入学できたというのである。
高校卒業後、大阪市内の小さな自動車修理の工場で働き始める。数年働いて、待遇に不満を持つようになる。同じ仕事をしているにもかかわらず、大卒者は偉そうに振る舞ううえに給料も高い、と。そして、一念発起とでもいうのだろうか、東京区部にある大学への進学を果たす。工学部の第二部で機械工学を勉強する。四年制大学進学率は男子でもまだ30%に満たない時代であって、第二部であっても学びの機会を提供されるのは誇らしかっただろう。昼は電気部品の製造企業で働き、夜は大学へ通う。大学生活も終わりに近づく頃、電子部品(電気部品というよりも、電子部品である)を卸す商社へ転職する。そして大学卒業後、引き続きその専門商社で働き続ける。ルート営業として長い間勤めることになるのだ。幸運にもこの業界は「電子計算機」ではない「PC」の普及、またIT革命の恩恵を受けて、さらにレジャー産業―つまり、パチンコ機器―に進出することよって、小豆相場の商売だといわれながらも繁盛することになる。そして、現在、父はフリーターをやっている。


世襲研究者には世襲なりの苦労もあるだろう。研究者以外の職業を想定することは難しいのかもしれない。一方、私の場合はこうした経歴を持つ父親との確執という苦労である。父親からすれば私(や私の世代)はとても、とても、とても、とても、とても恵まれていて、しかも、文科系の何の「役に立つ」のかわからないような研究を続けている。ここには書かない別の理由による確執もあるのだけれども、昨年秋、最後に会った際は「(国立)大学なんて税金泥棒でしかない」という、あまりにも陳腐な言葉を深夜1時に投げかけられてきた。
ところで、研究者の世襲について。


参鍋篤司、2014、「世襲格差社会化のテーゼ」『WIAS Discussion Paper』No.2014-004
http://www.waseda.jp/wias/achievement/dp/data/dp2014004.pdf


これによれば、世襲率1(父親の職業がどれぐらい受け継がれたのか)で13%、世襲率2(職業別に、世襲者がどれぐらいいるのか)で9%とのことである。実感としてもこの程度だろうか。ただし、職業を専門職、たとえば、研究者、医療、法曹、会計、学校教員などと大きく括れば、これらの数値は跳ね上がることになるのだろう*1


とりとめのない話であった。気が向けば、もう少し加筆修正を加えるかもしれない。

*1:とはいえ、親にマンションを買ってもらった、高校時代の部活が馬術であったなどという若手研究者の話しを続けて聞くと、認知バイアスも強まりそうである。