以前のことである。なお、以下の話しは経験をもとに私なりの脚色を加えたものである。
大学内の学生用掲示板に、ある宗教団体の教祖が執筆した本を対象とした読書会を開くという案内のチラシが貼られていた。これまで特に大きなトラブルが報じられることがあるわけではないものの、小説家や女優を用いて派手な宣伝をしていたことで有名な教団である。現代の主たる信仰者は50歳代、60歳代であると思っていたので、どうして学生が勧誘活動をしているのか、とても気掛かりであった。そこで、チラシに記してあったメールアドレスに連絡してみた。信仰や勧誘活動を否定するわけではまったくないこと、差し支えがなければ信仰の意義について教えてほしいことを伝えたところ、ぜひお話ししたいとの返信があった。
研究室にやってきたのは、教団のシンボルマークが描かれた装飾品ばかりが目立つ1人の素朴な学生であった。最初は3時間ほど、次は5時間ほど、教団の教えについて丁寧懇切に説明してもらうとともに、教祖の書いた本を十数冊と頂戴することになった。2回目に来室したときには、教団の法務部に相談して大学の諸規定を調べ上げて、勧誘活動はそれにまったく違反していないことを確認済みであるということまで教えてもらった。とはいえ、読書会には宗教学を勉強している学生がわずか1回物見遊山で来たたけで、まったくうまくいっていないと肩を落としていた。
その後、どういうわけか2週間に1回、毎回2時間のペースで、その学生と私の2人で教祖が学生時代に力を入れて勉強していた政治哲学者の書いたものを対象とした読書会をすることになった。読書会の雑談で聞いたことのひとつが入信の動機であった。他の教団に関してよく聞くような第2世代の信仰者であるという私の想定は間違っていた―私は学生時代、第2世代の信仰者からよく強い勧誘を受けたものである。学生の主張は次のとおりである。「大学入学前から哲学や思想の勉強をしたかった。その勉強を通じて生きることの意味を見つけたかった。大学の教養教育科目にとても期待していたのだけれども、それはまったく期待はずれのものであった。1年間休学して書店巡りをして、自分の問題意識に応えてくれるものを片端から探してみた。そこで、出会ったのがその教団であった。かなり不安だったけれども、意を決して訪問してみたところ温かく迎えてくれた。当初、親には信仰を猛反対された。しかし、最近では少しずつ認めてもらいつつある」そして、教団の教えにしっかりと勉強をしなさい、とりわけ大学の勉強は重要であるとあったので、復学を決意したとのことであった。休学前とは違って、大学の勉強の多くが楽しいという。教団の関連団体が運営する私立学校の教師になるために教員免許を取得する勉強を始めたと言っていた。学生は学者である私を入信させるという目論見を達成することはできなかったものの―教団法務部の狙いはそこにあったように思える―、また、複数の授業のグループワークで教祖の本を宣伝、配布していたのに困ってしまったという話しを教員、学生の数名から聞いていたものの、無事残りの単位を修得して卒業した。風の便りでは、現在はその教団の専従職員として大いに活躍しているらしい。
さて、今となっても思うのは教養教育科目の力不足についてである。もちろん、個々の学生の問題意識すべてに応える義務があるわけではなく、そもそもそんなことは不可能であるとはいえ、宗教団体の教えに学生の関心を奪われてしまうというのは心残りなのである。何度も繰り返すが信仰を否定するわけではない。ただ、教養教育にはまだまだできることが沢山ありそうだと思案するのである。