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ペダゴジーの社会学

ペダゴジーの社会学



私が教育と生産との関係について強い関心を持っているので、特に、第5章、松田洋介論文「職業文化をつくる教育―バーンスティン理論から職業教育の可能性を考える」が参考になった。

これまで職業教育では、その外部投影的な意義が強調されてきた。外部投影的な教育を指向する力が強まる現座、よりよい外部投影的な教育の構築のためにも、一般的スキルモードの隆盛への対抗手段として、高い専門性を維持しつつ組み上げられる領域学モードでの職業教育を中等教育レベルで確立していくことは今まで以上に求められているともいえる。専門的な知識や技術の獲得は、労働・生活観念の抽象化に抗い、労働世界を変えていくための足がかりにもなるからだ。
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私の研究領域である高等教育もまた、「ユニバーサル」段階に至ったことと関連して、同じように領域学モードは後継に退いて一般的スキルモードばかりが取り上げられる。バーンスティンも言うように、「このアイデンティティは、個人経歴と社会的・共同的基礎との間の動的な境界面なのであるから、靴紐を引っ張っても体が持ち上がらないように、それ自身から構築するということはできない」(Bernstein 1996=2000:125-6)。教育機関が一般的スキルモードへ傾倒することに対して厳しい注意を投げかけるのである。ただ、中等教育の違いは、たとえば当初は「一般教育学会」として発足した大学教育学会が領域学モードではなく一般的スキルモードに活路を見出したことにみられるように、個別学、領域学における「一般教育」の行き詰まりという学問に内在する理由もあった、というと言い過ぎだろうか。

以上の議論を踏まえたとき、職業教育にありうる陥穽を回避し、若者がより望ましい労働と生活をつくっていくための職業教育はいかにして可能なのか。そのひとつの方向として提示したいのは、外部投影的な意義が強調される職業教育を、内部投影的な意義を強調する職業教育へと組みかえていくことだ。それは、個々の生徒が労働市場で優位に立つことを正統化するのではなく、何らかの職業的な要素を媒介にしつつ、さまざまな背景を背負って生きる個々人の差異を見出すことに焦点を置くパフォーマンス型の職業教育ではなく、獲得者間の類似性を探究するコンペタンス型の職業教育の創出をめざすことだ。
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この具体的な姿は次項に示されていて、なるほど、こうした職業文化は望ましいように思える。高等教育のレリバンス論に対しても極めて示唆的である。しかしながら、同時に、おそらく紙幅の都合から説明できなかったと思われることが気になってしまう。それは、コンペタンス型の教育の難しさについてである。「認知ルール」と「実現ルール」が潜在的であるために、そのコードを獲得できるかどうかについて、有利、不利の差がパフォーマンス型の教育よりもどうしても大きくなるはずである。バーンスティンの本来の問題関心からすると、こうした問題をどうするのかについて考察する余地が大きく残されているのだろう。
私自身が「ユニバーサル」段階の高等教育におけるコンペタンス型の教育について考えているところだったので、こんな問いを立ててみた次第である。久しぶりに筆者やその仲間たちと議論したい。