大学教育のグローバル化に関する論点のひとつについて、公立大学公設民営大学の事例が参考になる。

公設民営大学設立事情

公設民営大学設立事情

公立大学の場合、学生は設置自治体の区域をこえて全国から集まってくる。他地域出身の学生であっても卒業後に設置自治体に居住・就職すれば別であるが、そうでなければ、他の自治体の住民のために税金が使われることになる。とくに医学部の場合、しばしば問題になってきた。
そこで、指定校制や推薦入試などにより地元学生の入学について特別の扱いをする大学は少なくない。しかし、他方、そのような措置を全くとらない大学も見られる。他の地域から学生が来ること自体を歓迎するという自治体もある。大学が本質的に普遍的な存在であって地域的なものではないとの考え方によるものもある。
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別の箇所で言及されていることでもあるけれども、地元出身学生の授業料を低く抑えるというケースも少なくない。ただし、「税金」という理由がどこまでの正統性を持ちえるか、それほど簡単には共通理解を得られないと思えるテーマである。

大学に対する社会的な評価が高ければ高いほど、全国から学生が集まってくる。その結果、地元学生の比率は低下する。すると議会などで問題視される。だが逆に地元学生しか入学を希望しない大学は社会的評価の低い大学であるから、この場合はいっそう批判されるのである。ユニバーサルとローカリズムの葛藤は、公立大学が抱える大きなアポリアである。
普遍性と地域性のアンビバレンスは、公設民営大学公立大学と同様に抱える問題である。
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この引用の語句を次のように置き換えてみよう。大学を国立大学(法人)に、地元学生を日本人学生に、議会を国会に。現在、一橋大学の学生(学部生、大学院生)のうち約10%が留学生である。留学生のうち、中国、韓国の出身者が約3分の2である。これらの数値をどれほど上げることが望ましいとされるのだろうか。また、たとえば、教員、職員、学生の何れも過半数が外国人となることについて、どのような意見が出されるだろうか。