A講義の履修と1年次終了時のXテスト成績向上の間には正の相関がある。なぜなら、入学時のXテストの平均点は約134点であり、A講義履修後のそれは約154点であるからだ。およそ20点も上昇している。したがって、入学者全員にA講義の履修を義務付けることによって、Xテストの成績向上が期待できる。





以上、あるところで聞いた初年次カリキュラムの改革についての話しである。皆さんはどう思われるだろうか。こんなものが「エビデンス」として改革が進めらることについて、私は意気消沈してしまった。「相関」というのは平均点の上昇から導くことができるのか…。「相関」は「因果」を直接的に意味するのか…。おそらく「レディネス」という概念を知らないな…。量的調査にそれほど詳しくないので、思わず辞書や教科書を開いてしまった。


最近購入したもの。

現代社会学事典

現代社会学事典

相関係数
あくまで2変数間の関係であり、特に調査観察データから計算された相関係数にはバイアスが含まれることがほとんどであるので、相関係数が高いからといってその2変数のあいだに本当に関係があると判断することはできない。
813頁

この改革案は相関係数の論点にさえ辿りつけていないので、ほんとうにどうしようもない。



学部生時代の「社会調査法」、「社会調査論」、「生活調査論」、「社会調査特論(名称うろ覚え?)」講義テキスト。

社会調査 (有斐閣Sシリーズ)

社会調査 (有斐閣Sシリーズ)

因果関係の3パターン
社会調査が扱うのは、そのほとんどが相関モデルであり、予測・因果モデルを直接扱うことは難しいが、調査者はしばしば相関関係を手がかりに因果関係を類推することに関心をもつ。このばあい、2変数の因果関係には、3つの下位パターンを区別できる。
(1) 原因変数Xが結果変数Yの必要条件であるばあい  YはXの存在なしには存在し得ない。これは、Xの存在がつねにYの存在をもたらすことを意味しない。(略)
(2) XがYの十分条件であるばあい  Xの存在はつねにYの存在をもたらすが、YはXの存在なしでも存在し得る。(略)
(3) XがYの必要十分条件であるばあい YはXの存在なしに存在しない。XはYの唯一の原因であり、いかなる代替的原因も存在しない。(略)
147頁

さて、改革案の誤りはどのように説明できるだろうか。evidence-based の主張は気に食わない他者の案を非難するときに出てくるのであまり好きではなく、また、こうしたいい加減な evidence-based の改革案にも落胆してしまう。「教育効果の考え方」をテーマとしたFDの必要性を主張したい。また、この機関では社会調査士を付与するカリキュラムがあるようなので、ぜひこの改革案に示された「正の相関」の意味を事例として検討してほしい。