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「大学教育批判のウソ」とか「文部科学大臣批判のウソ」いう新書を書くと売れるのだろうか。「なんとかのウソ」は先日言及した「水面下ではいろいろ動いているのよ」と同じように、あることがらについて特権的に情報を持っているのだとして自らの虚栄心を満足させつつ他者の無知を嘲笑したうえで、浅薄な情報を商売の対象とする売文稼業にとって嫌味で都合のよい表現である*1


大学設置認可の在り方の見直しに関する検討会
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/55/


やはり時評のようなことは研究者として恥ずかしいのでしたくない。しかし、このテーマはどうしても触れなければならない。この第1回配布資料は短時間で作成されたにしてはよくまとまっている。生半可な知識や理解しか持たないままで大学設置認可に関する今回の「事件」に言及していた売文屋さんはじっくり読むべきである。優れた配布資料であるものの、私としてはもっと強調してもよかったことが3点あったように思う。第1に、〈大学を設置するまでの流れ〉のなかで、申請者による文部科学省への計画や書類作成についての相談の重要性についてである。大学設置・学校法人審議会における審査より「実質的」な行政指導が行われている。この行政指導に関するエピソードは少なくない。私の知っているエピソードはワープロもファックスもなかった時代のものばかりであるが、たとえばこんなものである。学校法人の関係者があまりにもコネもなく手続きの方法もわからないまま虎ノ門を訪問したために、相談の担当者に見向きもされなかったものの、荒削りの申請書類を風呂敷に包んで1週間通い続けてようやくお茶が出されるようになって、その後2年間にわたって担当者が親身になってお世話してくれたとか、担当者による書類の修正要求が頻度が多かったり朝令暮改であったりしたために学校法人の関係者が倒れ込む、入院する、さらには、自死するようなこともあったなどである。審議会に至る事前の段階で多くの資源が投入されることで大方の手続きは済んでいるのである。そのため、審議会の役割は限定されてきたことを強調するべきであった。
第2に、平成10年代の「規制緩和」の政策動向に応じて、大学の設立もまたその規制のあり方が見直されたことである。極めて単純化して言えば、大学の設立は「競争」の名のもとにより容易になって、あわせて事後評価である「第三者評価制度」が導入された。この「規制緩和」に関する論点を外したままで、大学設置認可に関する今回の「事件」を理解することはできない。そして第3に、近年開設された機関の学部等の分野は保健衛生と教育学・保育が圧倒的に多いことである。労働市場の動向へ敏感に対応しているのである(もちろん、それにしても需給の見込みを読み違えているということはあっただろう)。印象で語られるように「就職に役立ずの」法学部、経済学部が開設されたわけではない。これらのこともまた、より強調するべきであった。
今回の「事件」では一知半解の主張を多く見かけてしまった。「大学教育の質」という意味のわからないマジック・ワードが人口に膾炙している。とりわけ、ビジネスの経験を研究業績に置き換えることで大学の講師をつとめるような論者が「大学教育の質」を嘆く様子に気抜けしたのである。「大学はもっと学生に勉強させろ!」というのはよいのだけれども、その主張は常に目的論を欠いているためまったく説得力を持たない。おそらくかなり狭量な大学教育の目的が想定されているのだろう。100年先の人類の未来のために、とは言ってもらえなさそうである。

*1:「なんとかのウソのウソ」は「買ってはいけない買ってはいけない」の二番煎じみたいだ。