教育・学生担当副学長選考〈参考投票〉が近付いている。2000年4月26日「副学長選考に関する確認書」に基づくものである。かつての学生部長に相当することから、教育・学生担当のみに対して〈参考投票〉が実施される。
この〈参考投票〉の意味を理解するためには、いわゆる「メモ問題」に遡らなければならない。しかし、ネットでは「メモ問題」の情報を入手することが困難であるようだ。誰かが総括をしなければならない。私?だろうか。150年史の補助線として紀要に書いておくべきか。



一橋大学三自治会のページ(ほとんど更新されていない)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hannya/sghu/gakutyousen/katutamemo.html
法学部長勝田有恒による覚え書き 昭和61年10月29日

V.一橋大学と文部省との緊張関係の構造
〈略〉
昭和47年の都留学長の選出については、すでにIIで述べたように、選挙規則の改正手続きが未了で、暫定的方式によった選挙に関して、手続上の問題点があったことは否めない。しかし、この瑕疵は昭和50年の選挙規則の改正によって治癒されている。しかし、文部省の指摘の重点は、いうまでもなく、学長選考制度への参加問題全般であった。この時点で、大学側が文部省に対してとった方策、すなわち、上申書補足説明書(メモ)の提出は果たして適切であっただろうか。14年前の執行部の施策を現在問題にしても始まらないともいえるが、「このメモ提出は将来の学長選挙を拘束するので、慎重に検討すべきであり、原案のままでの提出は見合わせるべきである」という主張を法学部が行ったこと、そして法学部が「評議会の調整に服さず、この意見を少数意見として議事録にとどめるべし」とまで抵抗したことは思い起こされてしかるべきであろう。大学側の多数が支持した見解は、「大学側としては、このメモが従来の大学の方針と整合的であり、かつ、将来を拘束しないもの」(昭和47年、「経過の概略」)であった。このメモ提出が小泉学長以降5代の学長発令に際して執行部に桎梏を科する結果を生んだのである。これが昭和47年の状況において、他大学の学生・職員参加制度を否定している文部省に対して発令を実現させるための一つの現実妥協であり、止むを得なかったことということは充分に理解できるとしても、「経過の概略」にもあるとおり、当時の執行部が不勉強のせいか、法律論的な(司法解釈的)議論を始めから避けていること(他大学もこれまた意外に容易に妥協していること)、発令にばかり気をとられてメモの予測される(発令折衝の際の)拘束力を軽視して、文言上の今一歩の踏み込みがなく、発令を引き延ばしても、メモの内容を改善すること、場合によってはメモ無しでの発令という努力が殆んどみられなかったことは非常に遺憾である。以後、少なくとも形のうえでは文部省が切り札を握った形で、発令時に決して楽ではない執行部と文部省の交渉が続けられており、大学事務局の苦労もまた察するに余りあるといえるのである。しかしながら、文部省としても、手中にしている筈のスペードのエースを容易に切れないのも事実である。このように文部省に強硬手段を躊躇させているのは、過去の発令の実績、本学選挙制度の伝統、大学自治概念の不明確さ、文部省の法律解釈論への自身欠如であり、わが大学の社会的地位も見逃せない。かくしてこの約15年の間、双方とも歯切れの悪い妥協を一枚のメモの形で手交し続けてきている。




第9回福田徳三研究会(横浜国立大学名誉教授本間要一郎) 2011年1月24日
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/da/bitstream/123456789/8057/1/HIT0501200101.pdf

(本間)〈略〉
この学生参加の選挙方式をめぐっては、学長選挙のたびに文部省との間で繰り返されたきわどいやり取りついては、皆さんのほうが詳しいでしょう。
現在、学長公選制どころか、全国の大学で学生自治会が残っているところさえほとんどないないでしょう。一橋だけはまだ曲がりなりにも何とか学長選挙はやっているんでしょう?
(渡辺) 意向投票、否、意向投票じゃなく参考投票です、学生の場合は。今や、法人化でがらっと変わりましたから。
(本間) 法人化で変わった?でもわりあい最近まであったわけだ。
(渡辺) ただ、その前に普通の大学に変わるという例の事件がありました。
(西沢) 阿部〔謹也〕学長のとき。
(渡辺) 阿部さんのときに大きく変わりました。そこで本間先生たちが作ってくださった、三者構成自治に基づく、拒否権の付いた学生参加学長選挙方式は廃止されたんです。
(本間) そうですか。
(渡辺) 阿部さんで廃止になったのです。
(本間) それまでに、もうちょっとで学生拒否投票が成立しそうになったときもあったんですよね。そうゆう万が一のリスクを考えて・・・
(渡辺) 1 回ありました。
(西沢) 今井先生だと思います。
(渡辺) あのときに伝家の宝刀が抜かれちゃったわけですね。
(本間) それで投票用紙を隠したとか何とかとかいうんでしょう。
(渡辺) そうですか、それは知らないけど。なんとかやってこられたものの、都留〔重人〕さんのときから、文部省のほうが許さないと強硬に出て、それでメモを出せということになり、それ以来、廃止へ向けて検討しているとか、廃止しますとか、要するにメモの文言でぬらりくらりとかわしながら、それでも徐々に追い詰められていったわけですね。前回と表現を微妙に変えるメモを文部省に毎回出しながらようやく発令をとるという流れの中で、今井さんの選挙のときに、学生の側が伝家の宝刀を抜いたということもあって、制度そのものがやはり問題だという危機感がどちらの側にも生まれたんじゃないでしょうか。それがとうとう阿部さんのところまで来て、制度そのものの廃止になったというのが大雑把な経緯です。