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男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学

男らしさという病?―ポップ・カルチャーの新・男性学

著者が指摘するように、確かに伊藤公雄以降、男性学は理論的にも運動的にも進展したとはいえない。「はじめに」のところで自己語りをせざるをえない理由は十分に理解できるものの、同時に、それを「言い訳」的に書かなければならないことが男性学の置かれている状況を示しているのだろう。
興味深く思ったことが二つある。一つは、その「はじめに」で描かれた中高一貫の「受験名門男子校」における「男らしさ」獲得、自己証明の競争についてである。そうした学校の出身者がネット上で「ホモ」(この言葉は注意深く使う必要があるだろうが、ここではネット上の原文ママとする)を執拗にからかうことについて、私はその理由がなかなか理解できないでいた。典型的なホモフォビアなのか、覇権的男性性からの排除の恐怖なのか、「男らしさ」規範に関する高校と大学のずれの調整なのか、どんな理由にせよ男子校の学校文化に関係がありそうだ。もう一つは、内観系宗教についてである。企業内教育、訓練の一つに利用されることがあって、場合によっては心理的なダメージが大きいことから、私は内観を否定的に捉えていた―内観を勧めるあのビジネスホテルは、安くて快適なのであるが…。しかし、紹介される事例はこれまでの男性運動の欠点を克服しているようであって、やや内観に対する評価を修正することになった。GLA系教団の教義をもう少し勉強してみよう。ほんとうに、「男らしさから自分らしさへ」というときの「自分らしさ」の空虚さの代わりになるものが存在しているのか、存在しているのだとして「男らしさ」よりも「マシ」なものなのだろうか。
クィア・セクソロジー―性の思いこみを解きほぐす

クィア・セクソロジー―性の思いこみを解きほぐす

ジェンダー・クリエイティブはいいな、と思う。この10年のジェンフリバッシングに関して落胆していたのだが、なお希望は失われていない。ただし、いくつかの米国の実践例は自己啓発セミナーの構造とよく似ていて、やや不安を感じてしまった。機会があればSARを体験してみたいのだけれども大丈夫だろうか。