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Fderとしては良くないことだが、現代の大学教育実践研究を読むのが嫌いである。そのため、このブログで言及することはあまりない。全国のFderは膨大な実践研究をどこまで読み込めているのだろうか。


講義前の関心・意欲・態度に関するアンケート → 低調な回答 → 一見すると楽しく愉快な講義や演習(その多くは伝統的な教養知、学問知を軽やかに「浅く」否定する) → 講義後のアンケート → 関心・意欲・態度が上がったという回答 → ワタシ・オレの講義や演習大成功(ワタシ・オレすごいよね) → 読者も真似してみて。


絶対に真似しようとは思わない。こうした結果があらかじめ仕組まれている研究、アンケートを恣意的に利用している研究、知識ではなく関心・意欲・態度ばかりを強調する研究をどうしても認められないのである。関心・意欲・態度も重要だとは思うものの、毎日会って話しをするわけでもない大学生のそれをどうして評価することができるのか、よくわからないのだ。




学びを共有する大学授業 ライフスキルの育成 (高等教育シリーズ)

学びを共有する大学授業 ライフスキルの育成 (高等教育シリーズ)

しかし、この実践研究は違った。現代の学生像を的確に把握している(「俗流」キャリア教育論*1や「俗流」初年次教育論に陥らない)、教員自身も含めて自らに対する思い込み・誤解に気付かせるさまざまな工夫が成功している、実践の行き詰まりや失敗を隠すことなく省察している、風変わりな講義や演習に対する学生の戸惑いや畏れといった感情の揺れを理解・共感しようと努めている、こうしたことが極めて繊細に伝わってくるのである。私自身が学生の頃に強く感じていた大学に対する嫌な思いに似たことについての言及もあって、読みながら涙が出てしまった。

「自分の居場所はあるけれど、居心地は悪い」という学生は少なくない。別の場所に居心地のいい場所があるに違いないと夢想し、探しまわる。本来、学びや自己成長には、ある種の居心地の悪さはつきものである。
34頁

何かがしっくりしない、という気持ちはよくわかる。「ある種の居心地の悪さ」を「利用」した実践について、私はまだまだ甘いところがあることに気付かされる。

新たに「社会性の育成」の場としての重要性が高まっている。ただし、その社会性とは、「みんないっしょに仲よく」という「協調性」とは別物である。場合によっては、自分がけなされることもあり得るような、多様な他者との関係のなかでも、他者を恐れず、うまくやっていくために必要なものである。これは、「世界はあたたかいものなのだ」という実感をともなわなければうまく育たない。
44-45頁

本学において、学生に「世界はあたたかいもの」という実感をさせることに成功しているだろうか。現時点では、必ずしもそうではないだろう。グローバル競争に駆り立てるばかりでは「世界はつめたいもの」にしかならない。他者を傷つけ、自分も傷つける。そのことが、自分はここにいてもよいのだという居場所感や、ここでやっていけるという自尊の思いを多くの学生から奪うのである。一橋生が時折教員、職員に投げかける冷酷なまなざしの意味、吐き捨てる言葉の意味を、彼・彼女の尊厳の問題として捉えなおさなければならない。

(学生の感想文)
しかし、そんな人ばかりいるだろうというイメージをもって入学したために、すごく背伸びをしていた。普段はあまりしない服装をし、必ずブランド物の鞄をもち、みんなの盛り上げ役として、楽しくふるまっていた。そうやって頑張って友達づくりをしたため、グループはできたが、毎日がとてもしんどくなり、疲れてしまった。学校に行くのがイヤで、友達に話をあわせる自分がつらかった。「今日、テンション低いやん。なんで?」といわれる日々が続いた。そんな私から、みんなはすんなりと離れていった。私はというと、悲しさよりもホッとする気持ちだった。キャラづくりをして得た居場所は、どんなに友達がいてもしんどかった。それ以降、私はひとりだった。2年生になっても3年生になっても、ずっとひとりだった。寂しくないといえば嘘になるが、以前のようなしんどさは一切なかった。学校に行けば、学科の友達も話してくれるし、いろんな人がいっしょにお昼ご飯を食べてくれる。無理に友達なんてつくらないでよかったんだなぁ。4年生になった今、私にはいっしょに遊んだり、相談しあったりする”大学”の友達ができた。気がついたら横に友達がいた。友達づくりにキャラなんてつくらなくていい。このことに気がつくのに4年間もたってしまったけど、「先入観」というのは恐ろしい。
257頁

この感想文を書いた学生はすばらしいし、これを引き出した実践もまたすばらしい。こんなに大学で嫌な思いをしているのはあなただけではないというメッセージである。きっとたくさんの後輩の助けになっているのだろう。これを読んで映画『耳をすませば』のカントリーロードの歌詞を思い出す。「ひとりぼっち恐れずに生きようと夢みてた さみしさ押し込めて強い自分を守っていこう。」強い自分など守らなくてよいし、ひとりぼっちで生きていくことなど夢でしかない、そんなことの気付きが得られる4年間は素敵なものである。
もちろん、内面ばかりを操作しようとする実践に問題がないわけではない。キャラをつくらなければならない「いきづらさ」を感じてしまう社会のあり方に対して問いを立てる作業も必要である。本学の学生を見ていて、また、かつて学生だった自分を思い出して、肉体的・精神的なこわばり、強い自分への固執、その程度は相当なものである。緊張したキャンパスライフをときほぐすことが重要な課題なのである。
今日の昼間、1年ぶりに会った学生、2年ぶりに会った学生、3年ぶりに会った学生、その3人それぞれがとても成長していたことに嬉しさを覚えたので、帰宅後に何だか感傷的な文章を書いてしまった。その3人の学生と話しをした際、あまり言葉が出てこなかったのは成長の大きさに驚いたためである。

*1:トライやる・ウィークの大学版でしかない。