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大学改革 日本とアメリカ

大学改革 日本とアメリカ

やや忘れられている秋季入学構想についてである。
「大正10年の大改革」は覚えていた。しかし、それ以前に教育機関の一部で暦を4月始まりとしていた理由が会計年度の問題以外にもあったことをまったく忘れていた。本を探してようやく思い出したのである。

では、当初、師範学校の学年を四月から始めなければならなかった理由は何だったのであろうか。佐藤秀夫氏(二宮追記:佐藤秀夫「学年はなぜ四月から始まるのか」『月刊百科』1978年4月号)は、その真の理由が陸軍と師範学校の人材「争奪」戦と、会計年度との一致による便宜にあったことを指摘している。つまり、明治一九年の徴兵令中改正によって、壮丁者の届け出期日が四月一日から一五日までと改められ、九月始期の場合は師範学校入学希望者が先に四月期限で陸軍に徴兵される可能性が出て来たことへの配慮(以下略)
128頁

徴兵との競合が理由の一つであった。筆者は4月始まりについて「教育的必要性」があって実施されたわけではないことを批判的に説明している。私も「教育的必要性」以外の理由による教育改革に対しては疑いの目を向けがちではあるものの、しかし、そうした外在的な理由による教育改革は(残念ながら?)よくあることでもある。
秋季入学構想において、大学、学生の就職先、それぞれの会計年度の問題はどのように扱われるのだろうか。私が新入社員だった頃、賞与引当金の計算をしていたことを思い出す。賞与の算定期間が決算時期を挟んでしまう場合の処理である。新入社員にもできる計算なので、それほど問題ではないのかもしれない。とはいえ、この種の問題はそうした計算を行う実務者ではないと気付かないということがあるので、何か見落としがあるような印象を持つのである。また、今回の秋季入学構想は、筆者がかつてから主張しているような米国型の単位制度を取り入れるのならばほんとうの意味で「実質化」するべきだ、そのために秋季入学は有効だ、と必ずしも直接には論じていないことも気になるのである。