文部科学省の20代若手官僚の皆さんへ、後学のために。PDCAサイクル、中期目標・中期計画、天下り、リアル熟議といった小手先のマネジメント技法ではどうしようもない現実がある。他大学に移られた先生とはいえ、こうした主張を見ると、まだ「組織としての大学」には可能性があるように思える―反論を封じ込むような機関もあるだろうから。なお、こうした大学改革に関するテーマについては、インブリーディング教員と他大出身(特に東大出身、さらに駒場出身)教員とで見方が分かれるということがある。整理してみると、いや、止めておこう。
天下りについては何とも言いがたい。ただ、ある学生が「将来は文部科学省に入省、数十年後には大学へ教員や職員として天下りしたい」と言っていたのを聞いて、とても嫌な気持ちになったことはある。あの嫌な気持ちの理由は何だったのだろうか。


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一橋にいるとき、私は、大学院重点化に反対した。冗談じゃない。それまでの数倍の院生をいれるだと?運営費交付金の削減を恐れて、入試のたびに、採点を甘くしてまで底ざらえのように学生をとる。数合わせの論理で、教育はできない。来てくれる学生に、申し訳なく思っていた。出口の確保も難しいのに

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一橋で大学院重点化に私が強硬に抵抗したとき、組合の重鎮教授が私に言った。「君は、教員に身分格差をつける気か」どうも、「大学院教授」と「学部教授」を格差と言ったつもりらしい。ばかなことを。教員の身分より、学生さんの指導態勢に集中したらどうなんだ。そんなに増やして、出口確保はできない

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結局、一橋の学生さんと卒業生のみなさんには、いまでも感謝している。如水会の学生への支援には、いまでも頭が下がる思いだ。しかし、法人化した後の大学に、良い思い出はなにもない。特に、天下り事務局長が「副学長」を名乗ったときに、私にとって、組織としての大学は終わった。

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一橋は、卒業生が寄せた寄付金の金額によって、プレートを銅やら銀やらに色分けして張り付けている。貧者の一灯もまた、大学のためにという尊い意志であることを理解できないのか。