自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究

自己啓発の時代: 「自己」の文化社会学的探究

数年前から勝手に応援していた研究者の論文がついに書籍となった―面識はまったくなく、吉田先生を介せばようやくつながりができる。こうした地道な学術研究が書籍化されることで、多くの人びとが研究の先端に触れられるようになることはとても嬉しい。
かつて雑誌の言説分析に挫折した私が言うのは甚だおこがましいのだけれども、これからそれにチャレンジする学部生、修士の大学院生は大いに参考になるはずである。

つまり雑誌編集者は、まるで研究者と同じように、注目されている能力に関する言説を観察し、特に重要だと思われるものを再編集・構成して世の中に発信しているという再帰モニタリングの同型性である。
200頁

私などはつい「邪悪な」雑誌編集者によって世論が形成されているのだ!、マス「ゴ」ミめ!、などという単純な陰謀論を唱えたくなるのだけれども、それは明らかに誤りである。雑誌編集者がひとりよがりに、いわゆる「力」語を提唱できるわけではない。その販売がけっして失敗することないよう、注意深く世論をみているのである。
個々に発表してきた論文を博士論文に構成するという点についても見習うべきところが多い。シューカツとan・anをどのように結びつけるのかと、まったく余計な心配をしていたのだけれども、ギデンズを援用した枠組みによる整理は成功しているのだと思う。ないものねだりをすると―私じしんが考えなければならないことである、一方で、教育社会学は社会臨床学会や臨床心理学会の知見*1を参考にして(共闘して?)こころに関する社会的なことがらを説明しようとすることがあるのだけれども、他方で、心理臨床学会、つまり、「ほんとうの」こころの専門家の実践から生まれる知見と「切り結ぶ」ことにはまだまだ多くの課題が残されているのだろう。
以前、私の講義でいわゆる「ブラック企業」に勤務したことがある経験を持つ卒業生(超大企業なのだが「ブラック」らしい)をゲスト・スピーカーとしてお呼びした際、学生の皆さんが書いたコメント・シートに「ゲスト・スピーカーは『自己分析』に失敗したのだから、性格が合わない企業に就職してしまったのだろう」というものが複数あった。私のねらいとは大きく外れた見解であった。私はあらためて、自己分析論を勉強し直さなければならない。