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先日、兼松講堂で行われた「本音で語る!国際競争力のある人材」講演内容の記録が上げられていました。ご参考まで。


この数日のエントリでたびたび援用しているBourdieuを再び持ち出せば、象徴権力が作動しているということなのでしょう。それは、あからさまな形では機能しないし、とりわけ、当事者にとってはあたりまえのことすぎて意識されないものです。ですので、この種の議論は社会学の研究者からすると研究の対象として興味深くみえますし(もちろん、「国際競争力のある人材が大事だ」などという言説を真に受けない―その一方で、同時に言説の「再帰性」に苛まれることになる)、文学や言語学の研究者からすると極めて苦々しく思えるのでしょう。実は、GPAをめぐる議論の「分断線」もまた同じところに引かれていました(また別の機会に言及します―このブログではなく、もう少し学術的な媒体で)。もし、皆さんがこうしたことに関心があるようでしたら、大学院に「入院」して文化的再生産論という分野を研究してみるとよいでしょう。
今週、来週の講義で再生産論に言及するので、それに関することばかりをブログに書いているような気がします。

科学の科学 〔コレージュ・ド・フランス最終講義〕 (Bourdieu library)

科学の科学 〔コレージュ・ド・フランス最終講義〕 (Bourdieu library)

難しくて泣きそうになります。しかし、特に、第3章「社会科学はなぜ自己を対象化しなければならないのか」は勉強したいところです。

社会科学は社会的構築物を社会的に構築する作業です。対象そのもののなかで―つまり、社会的現実総体のなかと、この社会的現実の科学的表象が構成される場である社会的ミクロコスモス、すなわち科学界のなかで―対象の構築をめぐる(対象を構築するための)たたかいが進行しているのです。社会科学はこのたたかいに二つの仕方で参加しています。ゲームに巻き込まれているためにその拘束を受けるとともに、ゲームのなかで一定の、たぶん限定された効果を生み出すわけです。206頁