講義で心理主義をテーマとするとき、いろいろなポップ心理学を話題にする。最近であれば、就活本や就活支援におけるポジティブ心理学の影響を指摘するという、「ベタ」な作業である。ポップ心理学については古いけれども次の論文が面白く、それはなおポップ心理学を簡単に否定するのではなく、そこには展望もあるというものだ。


佐藤達哉・尾見康博・渡邊芳之、1994、「現代日本における2つの心理学―ポップな心理学とアカデミックな心理学ーそのズレから心理学を考える」『行政社会論集』7(1)


さて、今日、気になってしまったのは、社会学もまたポップ心理学的な性格を持つことが極めて容易であって、しかし、それはあまりにもあたりまえのことすぎて、忘れてしまうということである。

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

上野千鶴子による帯には「若者論に死を!宣告する」と書かれている。初見では、販売のためのコピーであるたかをくくっていた。しかし、これは K. Mannheim の世代論がすでに無効であるという意味になるものであって、随分と重い宿題を投げかけたのだなと思うように至る。
こうした社会学者による大型論考(帯による名称)はとても楽しい。スラスラと読めるという書評も納得できることである。そのうえで、ポップ社会学(?)とアカデミック社会学(?)の架橋をどうするか、上記の佐藤他論文で示すものと同様の課題があるのだろう。社会学の一部と消費社会との親和性について、あらためて悩んでしまうのである。また、お師匠さんがその消費社会の言説生産の有力な担い手の一人であったのと同じように、おでしさんもまた同様にポスト消費社会(本当かな?中西新太郎はどう言うだろうか)の有力なそれになるのだろうか。とりあえず、学生の皆さんには、アカデミック社会学(?)というのは実はそれほど簡単でもなく面白くもないということをお伝えしたい。