昨日の全学FD/SDに参加しての短い備忘録的感想である。

  • 先日の話題に関連して言うと、大学や大学院における「見える教育」の必要性が強く主張されていたことになる。しかし、その実現可能性は資源や文化の点で困難だろう。資源は何とか調達できるかもしれないが、一方で、特に本学においては文化(自由の<殿堂>!)がそれを阻むのではないだろうか。ただ、学部、研究科によっては、すでに「見える教育」の傾向が強くなっているところもある。けれども、だからといって、そうした学部、研究科で紹介された事例のような問題がないというわけではない。
  • 問題を個人に還元する志向性があまりにも強すぎる。今回のFD/SDの趣旨を割り引いたとしても、「強い個人」を前提とした仕組みの妥当性をまったく不問にするというのはバランスが悪い。
  • (友人の)学生が果たすことができる役割、それに対する有益な示唆のあり方について言及がなく、むしろ、弊害として語られたことに違和感を持つ。
  • 主催者と参加者との間にある、問題を把握するアプローチのずれが克服できなかった。主催者はあくまでも事例に即して問題を理解しようとするのに対して、参加者は一般論でしか問題を語ることができなかった。その背景にはディシプリンの違いや参加者の虚栄心がありそうなわけだが、こうしたFD/SDの場合、主催者の意図に沿う方が有用ではないだろうか。