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第2部「ジェンダーと家父長制の再生産」
ジェンダーという言葉が普及するのに合わせて、その学術的意味合いが薄れてきているのではないか、という心配を持っていた。単に、性による何らかの相違に言及するだけの話しがジェンダーを冠することに、強い違和感を有していたのである。たとえば、生まれの性によって地位達成は異なります、これはよくないことですね、とだけ言われても学問としては有益ではない(運動としては意味があるけれども)。家父長制、再生産論、葛藤理論…とのつながりを検討して、はじめてジェンダー論はおもしろくなる。その意味で、日本の「ジェンダーと教育」研究は、構造主義はおろかラディフェミやマルフェミすら消化していない(75頁)との断じ方は痛快である。


第3部「階級構造と教育改革」
日本の教育学に対する批判が見え隠れしている。社会科学ではない特殊な世界においてのみ教育を対象とした研究が行われてきた(147頁)という指摘は、確かにそのとおりであったのかもしれない。こうした指摘の文脈において、教育社会学は居心地の悪さを感じるとしてもである。ただ、その学問の構造もまた、第1部「文化的再生産の理論」で展開されている「文化」や「教養」の階層性を反映しているのでもあって、誰からも嫌われそうなテーマであるのだけれども、教育諸学の内部における知識の正統性をめぐる闘争に関心を向けたいところでもある。
90年代の高等教育政策の「脱政治化」と、00年代のそれの「再政治化」という指摘は、もう少し踏みとどまって考えていたい。天野郁夫による「計画モデル」から「市場モデル」への移行という表現をふまえて「脱政治化」という言葉が生み出されているのであるが、なお国家統制や「イデオロギー教育」の必要の主張が皆無になったというわけでもなく(姿をかえて、あらわれている)、もう少し違う表現が適切であるようにも思えるのである。