成長と冷戦への問い (高度成長の時代 3)

成長と冷戦への問い (高度成長の時代 3)

収められた論文のなかで、教育運動に関するものはやはり独特である。民主的な中学校づくりに向けての教職員集団の努力、父母集団の努力、教職員集団と父母集団との葛藤を経ながらも相互理解を深めていく様子、父母集団の政治的主体への成長、それらが決して矛盾することのない一つの美しいストーリーとして描かれている。伝統的な教育運動研究のスタイルとしては、何ら間違いはないのだろう。
しかし、同書に収められている日鋼室蘭における家族ぐるみ闘争に関する研究、労音運動研究は、しようと思えば美談にすることも可能であるのだが、もちろんそんなストーリーを構築するようなことはない。特に、労音運動における「二重構造」、つまり、「戦前以来の教養主義的知識人文化と大衆文化との対立構造」に関する指摘などは、注意深い考察であってとても納得できるものである。
翻って、教育運動について、たとえば父母集団からの「俺たちだって職場で評価を受けているのに、なぜ先生はそうならないのか」という勤評闘争に対する疑問にどのように応答したのか、もう少し知りたいと思う。反学校文化(とりわけ、父母集団のそれ―「子どもの学校のことなんかしらねーよ」とするようなもの)の有り様が描かれないことに対して、あるいは、反学校文化が巧みに教育運動へ取り込まれていくような描かれ方に対して、いつものことながら疑問を抱いてしまう。