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一橋寮の件について、私は断片的な情報しか持っていません。したがって、参考になるかどうかはわかりませんが、最近私の「教養ゼミナール」で学んだことを挙げておきます。

男男間暴力には、「言葉による暴力」、「身体的暴力」、「心理的暴力」、「性的暴力」がある。(澁谷知美『平成オトコ塾』筑摩書房、2009、109頁)



共同生活においては、「身体的暴力」(夜寝かさない、部屋から出させない、発言を強いる)や「心理的暴力」(「身体的暴力」が行使されると思い込ませる)といったことが生じることがあるのかもしれません。

暴力が発生するのは、たいてい非対称な間柄においてである。
たいていの加害者は、みずからの行為に無自覚である。
被害者が被害を認識しないことがある。(同上、120-125頁)

上級生が楽しいと思うことであっても、下級生が同じく楽しいと思うかどうかはわかりません。また、社会学が指摘してきたことですが、加害者、被害者ともに、ことがらの重大性を認識できないということはよくあることです。
もし、大学に対する反論があるならば、感情的にではなく、トマトや卵を投げつけるのではなく、人格を貶めるような発言をするのではなく、あくまで理性に基づいて行うことを大いに期待します。




以上を仕事のすき間があった夕方に書き散らしました。ここからは、夜に都心で行われた打合せを終えての補足です*1
被害者が被害を認識できない暴力は深刻な問題です。澁谷は戦時中の男性間の性的暴力を挙げていましたが、似たようなことは近年にもあったと思います。たとえば、私が学生の頃の一橋寮ではそうした「からかい」や「おふざけ」がありましたし、また、当時流行っていたマンガの「気まぐれコンセプト」には広告代理店や自動車会社の新入社員が辱めを受ける状況が「おもしろく」描かれていました。今となってようやく、支配的な「男性性」イメージの下に問題が隠蔽されていたことを指摘することが可能です。しかし、その頃の当事者にとっては、よもやそれが暴力であることなどまったく認識できていなかったといえるでしょう。
第三者からすると、ある状況が暴力そのものに見えることがあります。その第三者の見え方が誤りであるというのならば、そのことをぜひ論理的に示すと良いかと思います。「仲良くやっていた」とか「気持ち良い状態が続いていた」といった心情を主張されても、また、同情を誘うような文章を示されても、大学教員は納得しないはずです。大学教員になるほどと思わせるような論理展開になるよう、よくよく文章を推敲して下さい。
ずいぶんと「言いたい放題」を書きましたが、私は正確な情報を持っていませんし、何らかの決定を行うこともできません。とはいえ、いちおうは(文章上はそのように見えないかもしれませんが)、学生の皆さんを応援しているつもりです。

*1:21時を過ぎても大勢の学生がキャンパスで勉強していました。評判に違わずよく勉強していることに感銘しました。