先週の広島系学会(?)に続いて、今日は京都系学会(?)であった。
今日も拙い報告をさせて頂いた。頂戴したコメントは4つである。第1に、ある大学において「ひとりランチ『問題』」は昼休みのセミナー開催によって一定程度解消された、という報告である。おそらくその通りなのだろう。バウマンが言うところの市場の要求に応えるという意味で、確かに一つの指針にはなりえる。ただし、それが本当に「問題」なのかどうかという問いは残されている。第2に、郊外の大学ほど「問題」は深刻ではないか、という質問である。調査があるわけではないのだが、推測できることがらである。関心の焦点が「知り合い」である限り(友人ではない)、「知り合い」から逃げることのできないキャンパスは苦痛である。第3に、ひとりでいることが「問題」なのか、あるいは、トイレが「問題」なのか、という質問である。ある精神科医、ある社会学者は前者を「問題」として構築してきた、そして、メディアは後者を面白おかしく「問題」視してきたのだと回答した。そして、第4に、タイムキーパーの学生さんからのコメントで、土井隆義の『友だち地獄』に通じる内容であって、よく理解できたというものである。この場合の理解は、むしろ共感という意味であるかと思うのだが、大学生研究として大きくは外していないという感触をえることができた。部会終了後にお話ししたとおり、「非リア」のままでまったく構わない―「非リアですが、何か問題でも?」―のである。
総括討論の際に、この場は研究報告をするところではない、だから先行研究や新たな知見などどうでもよい、研究報告は他の学会で行うべきだ、ここは大学教員が自らの教育実践についての悩みをうちあけるところだ(以上、大意)、という意見があって呆然としてしまった。そして同時に、言わばセルフヘルプグループとしての自由報告部会なのだと思い付いて、どこか腑に落ちた感じがした。体験を共有して相互に理解を示すことこそが、この場における適切な振る舞いなのではないかと考えてしまう(もちろん、学会で行う意味があるのかどうかはわからない/疑わしい)。この思い付きが正しいかどうか、来年以降に確かめてみたい。
ところで、午前中に一橋のGPAについての報告があったらしい。そのために、このブログのカウンターの回りが速くなっている。「生々しい」報告だったという感想を聞いている。それは大学の垣根を越えたFDという意味で良いことである。