リアル熟議への言及は、もう止めるつもりであった。しかし、昨今は「PDCAサイクル」に基づいて政策を進めなければならないと主張されるので…、また、熟議ライブラリに掲載されている報告書に目を通してしまったので、まったく気が進まないけれども今日のお昼休みを使って「C」を考えてみる。
私の知っている実施目的は、次の2点であった。

・大学教員、学生、OBOGの3つの立場それぞれが自身の役割を再認識し、よりよい大学教育の在り方を模索する契機になること。
・リアル熟議史上初めての試みとなる、大学ごとの個別具体的な熟議を行うことで、全国の大学に、大学ごとのリアル熟議を広めるモデルケースにすること。



報告書を拝見する限り、1点目の「役割の再認識」というよりは、学生の大学に対する不満の表明の方が強く出ているように見られる。そのことじたいは何も問題ではないのだが、実施目的に適っているかという点では疑問を残す。また、その場では「よりよい大学教育の在り方を模索」に達成しているようであるが、しかし、それが「契機」となって現在に至っているかどうかはよくわからない。たとえば、12月時点の以下のような認識の背景にある大学教育観がどのように変化したのか、気になるところである。

学校側は現状を打破できてないくせに、なにか自分たちと違う所で力が働こうとすると潰しにかかる。まあ昔からそんなもんか。協力が大切なんじゃねーの。 12月12日

現状としてニーズを掴めてないからいまの事態になってるわけで、謙虚にそこから学ぶ姿勢は彼らには無いのだろうか。大学って勉強するためにあるんでしょ。最高学府でしょ。したいと思わない人のこと考える必要あるの?したくない人に合わせる教育してたら、したい人に我慢させてるだけじゃない。12月12日

学生かw 協力しろとは言わないからせめて邪魔するなってやつですね(´Д` ) まあ社会ってそんな部分もあるんだろうね… 12月11日

必要であれば俺が反論記事書こう。きみはまだ在学するし、学校側ともめるのは得じゃない。もめるのは卒業する俺らにしよう。 12月12日

*1


2点目の「モデルケース」というのはどうだろうか。たとえば、その後の複数の教育機関におけるリアル熟議は一橋を「モデル」としたのかどうか、仮に「モデル」にしたとのだとして、どのような意義があったのか、もっと理解したいところである。
そして、リアル熟議の進行については、次のことが予定されていたようだ。

(前半)実体験から一橋大の問題意識・理想像を抽出
(後半)前半の議論に基づきそれぞれの立場から改革案・改善点を検討(Wishlist策定/ビジョンの検討/分野別のsolution等々)



報告書からは、前半についてはそのまま実施したことが窺える。ただし、私が開いた自主ゼミで指摘した点、つまり、実体験からの政策形成は危険でしかないこと(だからこそ、先日の私の実体験についてのエントリの内容は、真剣な議論の場においては常に伏せられる)、その問題を克服するために社会科学の様々な手法が存在すること、そうした手法を省みずにリアル熟議に飛び付くのはあまりにも安易であること、これらのことは念頭に置かれてはいないようである。
そして、後半の「Wishlist」、「ビジョン」、「分野別のsolution」については、一切報告が行なわれていない。これらが存在しないことは、実は大学当局からすると有難いことでもあって、リアル熟議を単なる「ガス抜き」に利用できたとも言えてしまう。このことは、参加者の皆さんの本意ではないと思うのである。
最後に、おそらく企画の最終段階で追加されたテーマである「実務家教育」に関する論点である。「実務家」の意味は現時点になってもわからないままである。報告書にも出てこない。一橋の存在意義にも関わりそうな論点なのだけれども、忘れ去られていまっているように見えてしまう。
さて、文部科学省的には次に「A」が必要になる。「A」をどうするのか、あるいは、以上のような傍観者による「C」に満足してしまうのか、「一橋リアル熟議を実施する学生の会」7名にぜひ考えてほしいのだ。すでに4ヶ月が経ってしまっている。繰り返し、文部科学省的にという限定付きで、自己紹介に「一橋リアル熟議」と掲載し続ける学生の責務である。そのうえで、「PDCAサイクル」概念の奇妙さに気づくことができればなお良しである。

*1:リアル熟議とはまったく別件なのだが、最後の方は「職業威信」という概念を勉強すると良いだろう。職業の貴賎や平等といったテーマがどのように学問として扱われてきたのかがよくわかるようになるはずだ。