この問題をテーマとして、自主ゼミを行いたいと思います。開催日は、12月20日〜27日のいずれかで調整してみます。1冊、テキストを指定します(副大臣が引用しているテキストはすでに企画者間で会読が済んでいることを前提として、それらとはまた別のテキストを選びます)。それは、すでに企画者の一人にはお伝えしているものなのですが、あらためて連絡する所存です。参加者はそのテキストを読んできたうえで、できればじぶんなりの論点を書いたレジュメを人数分用意して下さい。
この自主ゼミでは、リアル熟議全般について問うのではなく、一橋版リアル熟議に限定した議論を行いたい思います。文科省ないし副大臣が想定するリアル熟議の「文脈」と、一橋の「文脈」はかなり異なっていることについて理解を深めたいのです。



ところで、この数日間のツイートを見たうえでの雑感です。「就活ネタ」に対する批判が多くを占めていて、それがほんとうであるならば、とても心強い思いをしました。文科省への就職という意図があるわけではなく、インターンシップに応募したり、OBOGを訪問したりはしないのだと、いちおうは理解しました。私宛てに送付頂いた企画書は、文科省のストーリーどおりのものであって、企画者ごじしんで「熟考」した形跡が見られないことが気になっていたのです。また、私はただ単に「憶測」を述べたわけではなくて、ある種の「確認」を済ませたうえで就活へ言及しています。一方、リアル熟議の持つ限界に関連するツイートは、あまりありませんでした。あったとしても、政策立案上の技術面での指摘(関与する「アクター」の範囲についての指摘)にとどまっていて、政治学や行政学の「レンズ」を通したうえでのコメントを見つけられませんでした。なぜ「リアル熟議」でなければならないのか、まだよくわかりません。このことが大変気掛かりであるために、上記の自主ゼミを企画しました。
なお、これは研究仲間の先生(教育社会学のご専門で、ネット上のコミュニケーションに詳しい方です)に教えて頂いたことですが、ツイートであれブログであれ匿名の掲示板であれ、そこでの発言は「公的」なものと理解した方がよいとのことです。本人を目の前にして同じことを言えるかどうか、を常に考えてほしいとのことでした。このことは私にとってはとても示唆的であって、なるべく守ろうとしているルールです。相手がたとえ学生であれ、教育担当副学長であれ、文科省有志職員なる人びとであれ、このブログで述べている見解を直接述べるつもりでいます。また、「一生懸命がんばる学生を批判するのは許せない」、「進んでいるプロジェクトに対して波風を立てるのは許せない」といったツイートがいくつかあるのですが、これらは論点をずらすことにしか貢献しません。