この2ヶ月ほど、いろいろなことで消耗してしまっている。「ワーク・ライフ・バランス」のスローガンは文化的恣意の極みだ、などと憎まれ口をききたくなってしまう。よくない傾向だ。


安心・平等・社会の育み フィンランドの子育てと保育
フィンランドのジェンダー・セクシュアリティと教育
平等社会フィンランドが育む未来型学力
フィンランドに学ぶ教育と学力 (未来への学力と日本の教育)


こんな気分でいたこともあって、どうしても各所で言及される「平等」について素直には受け止めることができない。
http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/kiso160330a.pdf
と思って、ジニ係数を探してみると、確かにフィンランドは低い。しかし、一方で、社会全体の所得に占める最下位・最上位の所得分位グループの所得の割合や、最上位 10%人口・20%人口の所得割合の最下位10%人口・20%人口の所得割合に対する倍率は、フィンランドと日本ではあまり相違がない。
私の困惑は、「平等」であるべきとされる対象と、そうではなくても良いとされる対象の線引きがどこにあるのかが分からないことに由来しているのかもしれない。階級やジェンダーによる違いは当然のごとくあるようなのだが、それをふまえたうえで教育の機会が「平等」に与えられるのだとしても、その先に生じるであろう差異をどのように意味づけているのか、また、竹内洋の整理のように言えば加熱や冷却のメカニズムが分かればいいな、と思うのである。