1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

最後に上野千鶴子貴戸理恵を持ち出すのならば、「当事者論」をどのように捉えているのか、説明がほしかった。特に、「あの時代」の「当事者」を後世の有利な立場から読み解いていく方法は、貴戸の初発の問題意識に大きく関係するだろう。
連赤事件について語る多くの論者を「見たいものを見た」としている。では、各セクトの争いは他セクトとの差異化を図るアイデンティティ・ゲームであるとか、全共闘運動を<自分探し>運動であるとか、そうした現代の人びとにとっては馴染み深い、あるいは、当たり前のものとなりすぎていてわざわざ言及するのも引け目を感じるような、80年代以降の解釈枠組みによる理解もまた、同じように「見たいものを見た」ことにならないだろうか。社会学の研究であるかどうかはともかく、研究者の立ち位置の困難が存在する。