キャリア教育の報告書の校正を続けている。こうした地味な作業をしていると、「仕事を楽しむ」、「仕事による成長」、「仕事を通じた自己実現」…、これらは単なるイデオロギーにすぎないことを確信するようになる。たとえば、学部を卒業したばかりの新入社員が創造的な仕事を任される機会など多いわけもなく、そんなイデオロギーに感化されていると思うと哀れにも見えてしまう。仕事は楽しくなくても、仕事によって成長しなくても、仕事が自己実現に結びつかなくても、何ら問題はない。
インターンシップや卒業生による講演などに関する学生の報告を読んでいると、バウマンの議論を思い出す。

アイデンティティ

アイデンティティ

アイデンティティに対する切望の両義性は納得できるものである。短期的な漠然とした期待の一方でのはらはらした不安な気持ち、そして、可能性が無限にあるのに位置が固定されてしまっていることへの苛立ち、この両者を学生の報告のなかに同時に見出せるのである。しかし、極めて残念なことに、現状のキャリア教育は、そうした気持ちがいかなる社会的な文脈のもとに生じるのかを決して伝えようとしない。アイデンティティについてエリクソンやその後継者のみで説明するのは、もはや誠実な行為ではない。
ところで、今朝の朝日の「ののちゃん」は、やっと作者らしい「毒」が戻ってきたものだった。



あいまいなものを抱えておく知恵も根性もない連中がとびつくコトバですね(藤原センセ)



そのコトバは、バウマンが言う「原理主義者の約束」に通じる極めてシンプルで魅力的な指針である。しかし、そんな指針に抗う知恵や根性こそが、とても大事なのだ。