トヨタの知識創造経営

トヨタの知識創造経営

リコールは、「組織の成長の痛み」としてしか理解できないらしい。あまりの想像力の欠如に言葉を失う。
調査対象にとって不利なデータは紹介しない(隠蔽する)。「一にユーザー、二にディーラー…」という「哲学」は、どうも報道される事態の推移とは異なる印象を受けてしまう。もし、「哲学」が貫徹されているのならば、「組織の成長の痛み」などという研究者の無責任な掘り投げ出しを許さないだろう。
こうした結論ありきの「成功事例」を対象とした研究を行う大学教員の社会的な責任は、どのように果たされるべきなのだろうか。見方によっては、大学教員の威光を背景とした提灯記事・研究である。ITバブル崩壊金融危機の際と同じように、またしても、だんまりをきめこむのか。こうした責任の議論は、経営学に限定されない。結論ありきの「成功事例」研究は、近年の高等教育研究においても盛んである。華々しい成功物語も結構ではあるのだが、果たしてほんとうに問題はないのか、都合の悪い事実を隠蔽していないか、どうにも気掛かりである。