改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために

改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために

まずは、素直な反省として。学生に接するとき、同僚に接するとき、いずれの場面でもアサーティブなコミュニケーションに失敗ばかりしてきた。そのときの気分で、極端に受身だったり、極端に攻撃的だったり。
そして、意地悪な見方として。職場における導入は、必ずしも予定調和的に上手くいくわけではないだろう。感情労働の一つのあり方でもあるわけだから、かえって心の疲労をもたらすことはないだろうか(慣れてしまえば、直接的には感じなくなりそうなところも感情労働そのものだ)。また、新たなコミュニケーションのあり方に対する否定的な反応も多いだろう。もちろん、筆者は日本のコミュニケーションにも目を配っているのだが、もう少しハイ・コンテクストな場面でのアサーティブの意義を説明してほしいと思うのである。