一橋の学生のためにあることをしてほしい、という極めて圧力的な依頼があった。しかし、よく話しを聞いてみると、本当の目的は、第一に依頼者の人脈の維持・強化、第二に依頼者が重視している教育とはまったく異なる分野の政策の円滑な実施にあって、実際には学生のことなど二の次であることが分かった。このようなことを「おためごかし」と言うのだろう。
教育には、こうした面妖な出来事がよくある。たとえば、中村(1993)が明らかにしたように、かつて存在した就職協定は、常に学生のためにと言っておきながら、そのほんとうの意図は、採用コストの削減だったり、批判の回避だったり、職業安定法の存続だったりした*1。いずれにしても、学生のことを中心に考えていたわけではない。教育に関する言説の解明は、教育社会学のなかでも安易に政策科学に堕すことのない毅然とした立場の重要な仕事の一つである。
話しを戻そう。当該依頼について私がお断り申し上げたことは言うまでもない。「学生のために」と言えば横車を押すことができる、などと考えるのは行政の慢心に過ぎない。行政の世界では通用するのであろうログ・ローリングは、教育の世界では通用しないのである。

*1:中村高康「就職協定の変遷と規制の論理―大卒就職における『公正』の問題」『教育社会学研究』53、1993