教育基本法改正論争史―改正で教育はどうなる

教育基本法改正論争史―改正で教育はどうなる

なぜ教育基本法改正(論者によっては改悪)が2006年だったのか、様々な政治学者、教育学者の論文を読んでも、どうしても腑に落ちない。決定打に欠くのである。新自由主義、その行き過ぎの「欠点」を補完する新保守主義、この両者の同時進行という時代認識を何ら否定するわけではない。しかしながら、だからといって、そのことが直ちに教育基本法改正(しつこいようだが、論者によっては改悪)に結び付くわけではない。
言われるように憲法改正の一里塚であることは間違いない。ところが、改正(改悪)教育基本法は現行憲法と整合性があると説明されているのだから、今後の改正(改悪)憲法と改正(改悪)教育基本法はどのような関係になってしまうのだろう。
などと書くと、改正(改悪)憲法を「所与の前提」としている、などと批判を受けるだろう。同様の批判が次の関連する本に対して行われている。

日本型教育システムの誕生

日本型教育システムの誕生

改めて読み直す。最近出たばかりの書評によれば、新自由主義を「所与の前提」としているらしい。しかし、決してそのようには読めない。「政治学的アプローチ」の意味をまったく理解することなく、proとconの二分法に執着する当為論による書評は、甚だ不当であると言わざるを得ない。