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嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

嗤う日本の「ナショナリズム」 (NHKブックス)

なんクリのNOTE83によれば、「ショボイ男の子が乗り降りする駅」に一橋大学の最寄り駅は該当する。と、一橋大学はショボイ男の子だらけと難じられる一方で、文庫版著者ノートでは、憧れを持たせるような鮮やかなキャンパスの風景が描かれている。
田中康夫は「朝日岩波的なるもの」への反発を石原慎太郎と共有しつつも、分かりやすいとは言えない差異化の戦略を取る。なるほど「抵抗の対象の存在そのものの否認」とは良く言ったもので、もはや大学は本文で述べられるほどの意味を持たず、NOTEでネタとして触れられるに過ぎない。とはいえ、田中がそうした態度に徹しきれない様子は、文庫版著者ノートにあるようなキャンパスへの言及から窺える。ステンド・グラスが窓にはめ込まれた図書館における国際関係論やマーケティングについての読書(つまり、間違っても刑事訴訟法地方財政論ではない)、また、芝生の広がる広い敷地のキャンパスにおけるローラー・スケート(つまり、間違ってもコンクリートで固められた灰色づくしのキャンパスにおける麻雀ではない)は、極めてベタな差異化である。私は、田中の巧妙な差異化の戦略よりは、むしろ、そうしたベタな差異化の強固さの方に関心を持ってしまう。
90年代以降における一橋版差異化の戦略をどのように見出すか、事例としては倉田真由美ヨシダプロか、授業の課題になるであろうか。