「大学に入学して○○○キャラに(なって良かった、なって不安だ)」という話しを聞きます。ある調査は、こうした「キャラ」化にほとんどの人が満足していると言います。確かに、負の印象を和らげる効果があるのかもしれません。しかし、果たしてそんな良いことばかりでしょうか。何れにせよ、この「キャラ」言説、その正体が何なのかよく分かりません。気になって、いくつか新書の類をナナメ読みしました。

人間のパーソナリティを与えられた設定からなるものと捉える(大塚)
ある種の場の期待に合わせた自分の表現の仕方(菅野)
内面的な人格を視覚化し、わかりやすくしようという社会的要請(相原)



評論家、研究者、企業家はこのように捉えています。私には、さまざまな「キャラ」化は、他者の人格を固定化するという方向と、流動化するという方向が同時に存在しているように見えます。もう少し言えば、流動化の可能性を担保して固定化する方向、固定化の可能性を担保して流動化する方向の二方向があるようです。
じぶんの「キャラ」について悩みがあれば、ぜひ聞かせて下さい。

キャラ論

キャラ論

キャラ化するニッポン (講談社現代新書)

キャラ化するニッポン (講談社現代新書)

友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)

友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)

友だち幻想―人と人の“つながり”を考える (ちくまプリマー新書)

友だち幻想―人と人の“つながり”を考える (ちくまプリマー新書)

若者たちのコミュニケーション・サバイバル―親密さのゆくえ

若者たちのコミュニケーション・サバイバル―親密さのゆくえ