改めて「日本的経営」とは何だったのかを確認するために、一橋大学附属図書館オンライン目録で「日本的経営」を検索した。軽い驚きだったのが、「日本的経営」と名の付く書籍、卒業論文は、2004年以降6つしかなかったことである。とりわけ、卒業論文に関して言えば、90年代は年に数本の「日本的経営」論文が提出されているのだが(商学部だけでなく、経済学部、社会学部も)、2004年以降はわずかに1本のみである。学部生にとって「日本的経営」は魅力の無いテーマになってしまっているのか。CiNiiで論文を確認しても、近年の「日本的経営」論は、例えば、「トヨタの強み」を「日本的経営」として賞賛するだけで、まったく参考にならない(もちろん、90年代にも過度にオプティミスティックな、あるいは、国威の発揚を目的にしているような「日本的経営」称揚論者も存在した)。また、「日本的経営」誤解論も依然として散発的に出てくるようである。
しかし、アベグレン/占部都美が提起した「日本的経営」研究を終わらせてしまってはいけない。アベグレン/占部都美「三種の神器」でも、間宏「仕事のゆうずう」でも、伊丹敬之「人本主義」でも*1、それらがどのように形を変えて/変えずに残っているのかは、大きな課題である。特に、明確な制度としては表出されない(人事制度を見ても分からない)「仕事のゆうずう」のような個々人の働き方に関する規範は、正規雇用であれ非正規雇用であれ現状でも強いのではないかと思われるのであり、誤解論として切り捨てるわけにはいかないのである。

*1:「デジタル人本主義」はあまりに実践的な概念だが・・・