一橋では、単位取得が容易な授業のことを「チョンボ」と表現することがあります。中教審は成績評価の「厳格化」を求めていますが、私はそうした意向とのズレを含む学生文化の存在も等しく重要である、また、学生文化を絶やすことなど不可能であると考えます。しかし、この「チョンボ」、学生によって大きく理解が異なるようです。特に、1年生の皆さんは惑わされないようにしなくてはなりません。ここで、「チョンボ」を2つの軸で整理してみましょう。
第1の軸は、出席、もしくは、出席を意味する授業時間内の感想文提出を重視する/しない、となるでしょうか。そして、第2の軸は、試験やレポートで、教科書や授業内容を要約すればよい/教科書や授業内容にかかわらず自分の意見を展開すればよい、と見えます。皆さんは、それぞれの軸のどちらを「チョンボ」と考えますか?私は、出席重視、かつ、自説展開型を「チョンボ」と理解しますが、反論も多いことかと思います。また、出席を重視せず、かつ、自説展開型といった破天荒な授業は少ないながらもありそうですが、こうした授業を「チョンボ」と言い切るには不安に思います。というのも、そこにまったく評価基準を読み取ることができないため、どこまで到達すれば良いかが分からないためです。
このようにひとくちに「チョンボ」と言っても、それぞれに理解は異なります。あたかもみんなが納得する「チョンボ」が存在するかのような、根拠の無いウワサに惑わされないようにしてほしいと思いつつ、同時に、ウワサに惑わされて思い通りの履修ができないような経験もまた重要であると思います。