某省の職員と意見交換をする機会があった。FDの「実質化」に高い関心をお持ちのようで、そればかりに議論が集中したといっても過言ではない。
そこで気になったことは、「FDの効果というものはすぐに表れるはずだ」、「にもかかわらず、効果が出ていない理由は、従来のFDに問題があるからだ」という前提を置いているように見えることであった。この前提は「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」(平成20年3月25日中教審大学分科会制度・教育部会)で言われるような、FDを経営学的なPDCAサイクルに位置づけるという発想があることから生じているのだろう。
しかしながら、そこに2点の問題があるように思われる。第一に、仮に経営学のモデルが有効であるのだとしても(教育学からの理論的な反論はひとまず置くとして)、その効果を短期的に見るか、中長期的に見るかによって、依拠するべきモデルが異なるのではないかということである。例えば、一世を風靡したSECIモデルでは、確かにSECIは継続して高速回転することが望まれるわけではあるが、短期的に成果が得られるとは必ずしも言っていない。何故、経営学の一モデルに過ぎないPDCAサイクルの視点がFDに有効なのか説明されなければならない。第二に、大学教員の「職能」開発の基盤である職業的社会化は、他の専門職よりも時間がかかるのではないかということである。社会学で指摘されてきたように、専門職の職業集団へのアイデンティティの確立は独特な特徴を持つ。医師は、死体の解剖や他人の身体に触れるといった、通常はタブーとされる行為によって職業的社会化が進む。ところが大学教員は、医師と同じく専門職であるものの、医師ほど劇的な行為が必要となるわけではない。あえて挙げれば文系理系共通して、通説とは異なることを主張することがあるのだろうが、これは時間のかかる作業である。初職に就くのが遅いという構造的な問題が大きいとはいえ、分野によっては40代でも「若手」であるというのは、そうした含意があるのではないだろうか。もし、大学教員の「職能」開発がそうした職業的社会化と歩みを共にするのだとすれば、FDに遅効性を認めなければならない。職業的社会化よりも早い速度で、教育技法のみが進展する状況は存在し得るのだろうか。

余談だが、内外事項区分論ぐらいは初等中等の担当でなくても勉強してもらいたい。