検証・学歴の効用

検証・学歴の効用

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高度経済成長期を経て、一九七〇年代、八〇年代半ばぐらいまでだろうか。日本社会を特徴づける言葉の一つとしてよく用いられていたものに「学歴社会」がある。取得した学歴が人生を大きく左右する。そう信じる親子が学歴のために奮闘すれば、他方でこうした風潮への批判も高まった。学歴がどれほど実力を反映しているかわからないのに、出身大学によって出世の程度が決まってしまうのはおかしいではないか。学歴社会であるがゆえに受験競争が過熱し、ひいては校内暴力やいじめが起きるのだ。学歴社会―それはまさに、大きな社会的関心事だった。
それから二十年以上の月日が流れた。そのあいだに学歴社会を意識する越えはほとんどなくなったといってよい。学歴社会を論ずれば「なにをいまさら」という反応がほとんどであろう。ところが、関心の希薄化に反して、学歴の効用は増している。まずはその興味深い事実を確認することから議論をはじめることにしたい。
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著者らしい手堅い分析が行われている。ネット上の一部には古い研究課題であるという指摘があるようで、もちろん著者じしんもそのことを強く認識している。先行研究レヴューにおいて取り上げられているように60年代〜80年代にかけて学歴を扱った書籍が多く出版されている。将来の職業に結びついていない、学歴獲得が自己目的化しているという観点から「学歴主義」「学歴信仰」を批判するような書籍は確かにたくさんあった。しかし、近年では、そうした否定的見解を示すエッセイにせよ、実証的な研究にせよ、そもそも学歴が論じられることが少なくなっている。だからこそ、著者の言葉でいえば「愚直に」学歴の効用を検証して実態を示すことが必要なのだろう。
面白かった第一の点は、いわゆる「学び習慣仮説」の枠組みで学生時代のマンガ、趣味・娯楽書の読書の効用を説明できるかということである。学生時代の思想書、純文学、歴史小説ほか、専門書、ビジネス書の読書の場合は、それが現在の読書活動につながっていて、その結果として所得に影響を与えるという「学び習慣仮説」が成立している。一方、学生時代のマンガ、趣味・娯楽書の読書は、正の連鎖ならぬ負の連鎖こそ生じさせないものの、所得に対してマイナスの影響を与えているようである。学生の皆さんに伝えておこう、ラノベはほどほどに!
第二の点は、専門学校の効用についてである。専門学校と卒業後に就職する職業のパターンは、(1)専門学校で医療、教育、社会福祉、理容などの教育を受けた後に、公的資格を必要とする職業に従事するケース、(2)専門学校で工業、商業実務といった教育を受けた後に、公的資格を必要としない職業に従事するケース、この二つがある。効用が確認できるのは(1)のケースであるようだ。(2)、とりわけそのなかでも男子は、効用が表れる兆しさえ読めないとのことである。さらに興味深いのは、(1)で確認できる女子の効用は所得だけにとどまらず、就業意識にも表れるという。現在の仕事のやりがい、自ら努力して仕事の壁を乗り越えたい、仕事についてもっと学びたいといった〈自律的〉側面、現在の仕事が自分に合っている、仕事で独自性を発揮しているといった〈適合性〉的側面の両者ともに、大卒者、短大卒者、高卒者の男女よりも大幅に得点が高くなっている。専門学校卒の医療、社会福祉の従事している知人の様子を見て、なんとなくはそうなのだろうと思っていたことがはっきりと示されたのである。
第三の点は、著者がいう「『学歴の効用』の認識社会学」についてである。学歴の効用が低下したと感じてしまう(誤解してしまう)理由を問うという課題である。横軸に「大卒労働人口/高卒労働人口」、縦軸に「大卒賃金/高卒賃金」を取った世代別の散布図(図表7-2、pp.204-205)は興味深い。男子労働者全体の30代、40代は、時代によって、効用の高まりを意味する「右上がりの並び」になったり効用の低下を意味する「右下がりの並び」になったりするのに対して、50代は「右下がりの並び」が継続しているのである。効用が低下しているという主張は、世論を形成する知識や経験に富む50代の層の実感に基づいて広められているかもしれないという仮説は、それが正しいかどうかはなお検証の余地は残されているもののとても面白いのである。