ライティング支援の事例について

大学におけるライティング支援

大学におけるライティング支援

津田塾大学ライティングセンター、出版社からお送り頂きました。感謝いたします。
この本は、大学間連携共同教育推進事業「〈考え、表現し、発信する力〉を培うライティング/キャリア支援」(津田塾大学関西大学)の成果としても位置付けられるものであり、私は当該事業の外部評価委員を務めさせて頂いていた。私が関西大学千里山キャンパスのライティングラボを訪問した際には多くの学生で賑わっていたことや、津田塾大学のライティングセンターを尋ねたときには閑静なキャンパス内でじっくり支援が受けられる環境が整っていたことを思い出している。
興味深い点は次の4点である。まず、第1に、ライティングセンターは添削を行う場所ではないという主張である。

単なる技術的な方法だけでなく、批判的に考える力や、論理的に考える力まで含みこんだ高度な能力を育成していくためには、学生自らが主体的に考えていく姿勢が不可欠である。ライティングセンターの支援は、学生自らが主体的に考え、探求し、発見していくことを視野に入れた、気づきを促す支援を行っていかなければならない。
このような気づきを促す支援を行うためには、まず、ライティング指導とは添削のことだと考える発想から脱する必要がある。なぜなら、添削という方法では、多くの学生は、単に直された文章を受動的に受け入れるだけであり、自分のライティングのどこに問題があり、どうすれば改善できるのかを、自発的に考えようとしないからである。
学生が自発的に考えるように促すのは容易なことではなく、学生が自ら考えていけるような指導方法を工夫していくことが不可欠となる。そのためには、まず個別指導の体制を充実させ、対面的な指導によって、学生との対話を通して、自ら考えるように促していくことが重要であろう。
19頁

また、自発的にライティングラボを訪れた学生について、文章の「添削」を求める傾向が見られた。学習相談が一過性の添削となることは、ライティングラボのポリシーに反するだけでなく、学生にとってもテーマ設定や論理的な文章の組み立てなど論文作成プロセスに関する技術が形成されないなど、長期的に見てマイナスの作用を及ぼすと考えられる。ライティングラボの活動内容の周知徹底とともに、教員との連携を強化する必要がある。ライティング指導に携わる教員と連携することで、ライティングプロセスを重視した指導・支援のさらなる拡充が期待される。
57頁

たとえば、ドラえもんのび太くんの0点答案のように、自らのアウトプットが真っ赤になって返されたとてしも途方にくれるだけであろう。同じように、赤ペンで丁寧に添削された自らのレポートを読むように伝えるだけでは、その学習の効果は心もとない。レポートを自動で添削してくれてその結果良い成績を得られることになる、高い授業料を払っている消費者として享受できる便利なサービスである、と誤解されてしまうかもしれない。添削(=他人の詩歌・文章・答案などを、書き加えたり削ったりして、改め直すこと(goo国語辞書による))は教育としては不十分であるという主張は同意できるものである。
第2に、関西大学においては2年生の10月に相談が増えるということである。さて、それはどうしてだろうか。

1年生は春学期(4-7月)に集中して相談に訪れる傾向があった。特に、レポート作成に関する相談が多く寄せられた。12月前後に4年生の相談数が急増し、その多くは卒業論文に関する相談であった。また2年生および3年生からの相談は1年を通して比較的少ないものの、10月に2年生からの相談数が一時的に増加した。10月に相談に訪れた2年生のおよそ9割は志望理由書を持参していた。関西大学において、2年生の10月頃に、3年生以降のゼミ所属希望先へ志望理由書を提出する学部が多いことが理由の1つと考えられる。
37-38頁

学生支援のさまざまな場所で、2年生のいわゆる「なかだるみ」が指摘されることがある。しかし、確かに3年生以降に所属するゼミに対する志望理由書に、一定のアカデミックなハードルを設けることは意義のあることなのかもしれない。第3に、ライティング支援を経験することは就職後にも役立つという指摘である。

では「書く力」と女性のリーダーシップはどのように結びつくのだろうか。
申請の段階から携わった当時の取組責任者で、現学長の高橋裕子は、授業でグループワークなどを行うと「メンバーを変えてほしい」と訴える学生が現れるようになったことが、ライティングセンター設立を考えるひとつきっかけになったという。自分と意見の異なる人、気の合わない人とは、一緒に課題に取り組みたくない。衝突はなるべく避けたい。そのような若者が増えているのではないか。しかし、社会に出れば、多くの仕事は複数の人たちと関わり合いながら進めるのが当たり前であり、「メンバーを変えてほしい」などとは言っていられない。そこで、自分の意見や思いをきちんと整理し、それをわかりやすく的確に伝えるだけではなく、相手の多様な意見や思いもしっかり受け止め、まとめ、対立を乗り越えていく力がリーダーには必要になってくる。そのようなリーダーシップを発揮するために必要なコミニケーション能力を裏打ちするのは「書く力」ではないか、と高橋はじめ、取組に関わった教職員たちは考えた。
64-65頁

そうした若者がほんとうに増えたかどうかはわからないし、もう少し慎重に整理した方がよいとはいえ、「書く力」がコミュニケーション能力というものを構成する重要な要素であるというのはその通りであろう。コミュニケーション能力とは、臨機応変に、楽しく愉快に面白く、対面で、饒舌に、口頭で、身振り手振りで、何かを行うスキルであるという思い込みから一度離れる必要があるのだ。
第4に、支援担当者の心構えについてである。

①笑顔 自分の文章を、特に書きかけの段階で他人に見せることは、抵抗感や恥ずかしさを伴うものである。ライティングセンターの扉をたたくのは、勇気が要る行動であることを十分に理解し、来た学生を萎縮・緊張させないよう笑顔で迎え、まずはこちらから自己紹介をする。
②確認 1回の相談時間が45分であること、センターは文章の添削をするのではなく、課題を共に考える場であることを伝え、理解してもらう(最初は、添削を期待してやってくる学生も多い)。また、チューターを選ぶことはできないが、チューター同士で相談内容・指導についての情報は共有しているので、どのチューターに当たっても継続指導ができることを説明する。相談に来た目的や目指すべきゴールについては、学生に決めてもらう。文章の分量が多い場合や相談が多岐にわたる場合も、優先順位は学生につけてもらう。
72頁

学生を萎縮させない、というのは一部の大学教員や大学院生にとっては難しいことのようである。しかし、こうした「感情管理」(A. R. Hochschild)は教育を行う者としてはどうしても避けられないことなのだろう(かえって、萎縮させようとする「感情管理」を行ってしまっているような事例も聞いたことがある)。
さらに、津田塾大学では、就職活動のエントリー・シート作成の支援も行っていることも示唆的であった。よく読むと、一般にキャリア・カウンセラーが行っているような対話を通じた語彙探しが進められている。そのことが偶然キャリア支援者の行為と似たものになったのか、あるいは、キャリア支援の理論から導かれたものなのか気になるところである。

若者・大学生論学外自主ゼミ第1回

2019年春、若者・大学生論の学外自主ゼミを行います。

★文献
1)本田由紀編、2018、『文系大学教育は仕事の役に立つのか:職業的レリバンスの検討』ナカニシヤ出版
https://honto.jp/netstore/pd-book_29179035.html
2)福島創太、2017、『ゆとり世代はなぜ転職をくり返すのか?:キャリア思考と自己責任の罠』筑摩書房
https://honto.jp/netstore/pd-book_28580248.html

★日時
2019年3月17日(日)15時~18時

★場所
東京・山手線田町駅近辺

私と面識があったり、ネット上でコミュニケーションがあったりする方であれば、どなたでも参加できます(そうでない場合はご相談ください。卒業論文修士論文執筆のために読みたいといったご希望には沿えるようにしたいです)。また、会場準備の都合上、事前に参加のご連絡をメールやSNS等でお願いいたします。その際、場所の詳細についてお伝えします。学部生・大学院生やお勤めの方の参加も歓迎します。レジュメ作成等の準備は不要です。第1回なので、とりあえず私の独断で若者のキャリアに関する文献にしました。もし、第2回目以降があるようでしたら参加者から読みたい文献を募りたいと思います。たとえば、ジェンダー論、コミュニケーション論、生徒文化・学生文化論にしましょうか。

各大学で開講されている「高等教育論」(1)

学部生が高等教育論を履修できる大学はどれくらいあるだろうか。また、そこで伝達されている高等教育論の知識とはどのようなものだろうか。以前にも調べて掲載してみたことがあるのだけれども、再度探索してみよう。
いくつかの大学のシラバス(2018年度版)で「高等教育」を講義名称に含んでいるものを探して、その講義内容を抜粋してみた(通信制、演習等科目、大学院科目を除く)。「大学」や「大学教育」を講義名称にするものは、初年次科目や自校史などが含まれることがあるためや、第三段階教育を射程に入れていないために対象外にした。そのことにより、東北大学同志社大学などで開講されている「高等教育」に相当する講義は挙げていない。以下に並べる大学の順序について特に意味はない。


1.東京大学教養学部(前期課程)
「高等教育論入門」小方直幸
第1回 大学の制度・歴史(1)、第2回 大学の制度・歴史(2)、第3回 入試と選抜、第4回 授業料と奨学金、第5回 学生生活と学習行動、第6回 就職と大学での学び、第7回 学長と大学改革


2.東京大学教育学部
「高等教育概論」橋本鉱市
1~4回:高等教育の機能と構造の概要、わが国の大学制度の変容と政策、政策形成・決定・実施のプロセス、5~8回:米国を中心とした各国の大学制度の国際比較(ランキング・モデル論・類型論)、大学制度の多様性、9~12回:高等教育の選抜機能(入試、高大接続)、配分機能(学歴主義、労働市場)、13回:最終試験

3.東京大学教育学部
「高等教育の社会学」橋本鉱市
第1回:イントロダクションー講義内容の説明、第2回:専門職(教育)の定義・歴史、第3回:高等教育セクターにおける養成制度ー専門職性・専門性に関する議論、第4回:国家による統制ー国家試験などによる質保証、第5回:専門職集団の戦略ー報酬の確保と職域の拡大、第6回:専門職個人における発達ーキャリア形成、プロフェッショナリズム、第7~8回:専門(学部)教育の改編と変容ー事例研究、第9~10回:専門職大学院の成立と評価ー事例研究、第11~12回:専門職大学の制度化ー事例研究、第13回:総括-今後の行方

4.日本大学文理学部
「高等教育論」間篠剛留
1はじめに―「大学とは何か」を考える―、2大学をめぐる現代的な諸課題、3大学での学び、4高等教育と社会とのつながり、5大学教授職の使命、6知と学問の関係、7大学と学生、8高等教育の質保証、9アメリカの高等教育、10中世大学と近代大学、11日本の近代化と大学、12戦前の高等教育と戦後の民主化、13大学の大衆化と大学紛争、14大学改革の時代へ、15おわりに―改めて「大学とは何か」を考える―

5.青山学院大学教育人間科学学部
「高等教育論A」杉谷祐美子
1オリエンテーション、2ワークショップ「大学について考える」、3大学をめぐる環境変化、4大学入試制度の変遷、5高校-大学間の接続関係と入学者選抜、6大学改革とそのモデル、7教育内容・教育方法の改革、8大学生の実態と学生支援、9学士課程教育の質保証と評価、10キャリア形成と大学で身につけるべき力、11大学から職業への移行、12高等教育政策の課題(1)高等教育のグランドデザイン、13高等教育政策の課題(2)新たな高等教育機関の制度化、14高等教育政策の課題(3)高大接続システム改革、15まとめ

6.青山学院大学教育人間科学学部
「高等教育論B」杉谷祐美子
1オリエンテーション、2大学の誕生と発展、3近代アメリカの大学、4近代ドイツの大学、5現代ドイツの大学、6現代アメリカの大学、7現代イギリスの大学、8ワークショップ「日本の大学について考える」、9日本の大学の成立過程、10大学の設置形態-国立と私立の比較-、11高等教育財政、12大学の組織と経営、13大学設置認可制度、14質保証と大学評価制度、15まとめ

7.鳥取大学全学共通科目
「高等教育論(旧Ⅱ・B)」永松利文
1ガイダンス:日本社会及び高等教育の概念的理解、2日本の近代化と若年層、3近代国家の成立、4国際関係の変動と産業の発展、5二つの大戦と日本社会及び高等教育(1)、6二つの大戦と日本社会及び高等教育(2)、7敗戦による日本社会の変容:戦後民主主義、8 事例研究、9占領政策から戦後改革へ、10日米安保と経済成長、11 高度経済成長の終焉、12大学の民主化、13事例研究、14事例研究、15事例研究、16最終レビュー

8.千葉大学国際教養学部
「日本の高等教育政策」前田早苗
第1回 現代の高等教育課題の概観、第2回 戦後の高等教育制度の変遷(1)大学設置基準大綱化以前、第3回 戦後の高等教育制度の変遷(2)大学設置基準大綱化以降、第4回 高等教育の国際比較(1)欧米、第5回 高等教育の国際比較(2)東アジア、第6回 大学改革政策の現在、第7回 大学評価の意義と課題、第8回 まとめと試験

9.広島大学教育学部
「高等教育概論」藤村正司、吉田香奈
第1回 オリエンテーション、第2回 高等教育とは、第3回 明治維新から帝國大学令、第4回 専門学校令、第5回 大学令、第6回 占領期:大学設置基準とアクレディテーション、第7回 新制大学一元化、第8回 大学紛争と46答申、第9回 私立大学助成法と専修学校設置基準、第10回 臨時行政調査会と奨学金制度、第11回 大学院拡充政策、第12回 大学設置基準の大綱化、第13回 国立大学の法人化、第14回 認証評価制度と専門職大学院、第15回 高等教育の機能別分化政策と大学入試制度の変遷

10.岐阜大学教養科目
「教育論(岐阜大学の歴史と高等教育論)」廣内大輔
1.大学の起源、2.帝国大学の誕生、3.戦前の高等教育機関①、4.戦前の高等教育機関②、5.私立大学の発展、6.学問の自由と大学の自治、7.レポートの書き方講座①、8.戦争と大学、9.戦後大学改革①、10.戦後大学改革②、11.教養教育の登場、12.医師と看護師の学校史、13.レポートの書き方講座②、14.短期高等教育の拡充、15.大学紛争

11.横浜国立大学教育人間科学部
聴覚障害者の高等教育」須藤正彦
1.導入(聴覚とその障害)、2.聴覚障害とコミュニケーション、3.聴覚障害児童・生徒の学習Ⅰ、4.聴覚障害児童・生徒の学習Ⅱ、5.難聴学級、ろう学校の中等教育、6.聴覚障害学生の高等教育進学と就職、7.筑波技術大学設立の経緯とその教育Ⅰ、8.筑波技術大学設立の経緯とその教育Ⅱ、9.海外の聴覚障害者高等教育とその歴史Ⅰ、10.海外の聴覚障害者高等教育とその歴史Ⅱ、11.米国における聴覚障害者高等教育Ⅰ、12.米国における聴覚障害者高等教育Ⅱ、13.聴覚障害児・学生のためのバリアフリー、14.高等教育機関のネットワーク、15.講義のまとめ、質疑・応答、16.試験

12.群馬大学教養教育科目
「女性と高等教育を考える」小林陽子
1.オリエンテーション、2~3.文明開化と女子就学の開始、4~7.女子高等教育の芽生え、8.中間のレポート作成とディスカッション、9~10.女子高等教育の成果と課題、11~13.レポート作成、14~16.レポートの発表および討議

13.北海道大学全学共通科目
社会の認識「日本と世界の高等教育を考える-歴史と比較と現代の課題-」姉崎洋一
大きく5つの柱で進める。(各3回)1,高等教育の概念、思想・理念、制度の概説、2,高等教育の歴史的理解、3,多様な高等教育の展開事例、4,教育改革と大学の変容、5,世界の高等教育についてグループで調べて報告する。

14.【参考】2015年度立教大学全学共通教育カリキュラム
「高等教育の歴史的展開/新座」二宮祐(自分のものも掲載するべきだった)
1.序論、2.学校の接続、3.旧制大学旧制高等学校、大学予科、4.ドイツと米国の高等教育、5. 日本の戦後改革(1945年~1950年代)、6. 理工系の拡充政策(1950年代~1960年代)、7.特論1:1950年代の高校生を見てみよう、8. 特論2:レポートの書き方、9. 私立文科系の拡大、学生運動(1960年代)、10.四六答申、私学助成、進学者抑制政策(1970年代)、11. 臨教審、消費社会における高等教育(1980年代)、12.大学設置基準の大綱化/ユニバーサル段階の高等教育(1990年代)、13. 特論3:大学から職業生活への移行、14.まとめ

さて、ある傾向が見えてくるような印象を持った。学士課程教育における「高等教育論」の特徴と問題点は何だろうか。(2)へ続く(たぶん)。そして、とても調べきれないので「高等教育論」シラバス情報のご提供を!(ところで、冒頭で述べた条件は実のところあまり良いものではない。その輪郭を描くためには、初年次科目や自校史などを含めた「大学論」と重なるものとしての高等教育論を探すべきであった)

ヤンキー研究の感想

ダイが後ろの席にある筆箱を見て「きもっ」という。見ると、その筆箱には、短髪の男子と女子がキスをしているプリクラが貼ってあった。ダイは、その筆箱をこぶしでたたく。がんがんがんと、かなり強く叩いている。私が「それ誰の?さすがにひどいだろ」と言っても、「知らん、〈インキャラ〉」と言ってやめようとしない。後でその筆箱を見ると、ヒビが入ってしまっていた。(フィールドノーツ、二〇一〇年七月十六日)
ーーー
この場面で、ダイは、異性愛実践を象徴する「男女がキスをしているプリクラ」が貼られた筆箱を叩き壊した。こうした事例に端的に表れているように、彼らにとって〈インキャラ〉は、異性愛の舞台にあがるべき存在ではないのである。
129頁

ヒロキ:おれ、朝早くから働いて、夕方には帰るっていうのがいいねん。
知念:朝早くからって朝七時とか?
ヒロキ:そう。そやったら、家族でご飯とか食べれるし。朝は無理やけど、夜は一緒に食べれるから。で、日曜日は休みみたいな。日曜日休みやと。子どもと遊びにも行けるし。そんなんがいいねん。(フィールドノーツ、二〇一〇年十月一日)
ーーー
(略)本章の関心にとって重要なのは、こうした語りが、自らの家族経験と結び付けられることによってなされる傾向にあったことだ。
153頁

その状況をまるで目の前で見ているようであり、かつ、それぞれに納得できる考察が行われている。エスノグラフィーはおもしろい。
ところで、筆者も指摘しているように、実は若者の階層文化を対象とした研究の蓄積は日本に限定しても厚い(一部の他分野の研究者は階層文化論を「じぶんとは異なる文化も知っている」ことの他者に対する自慢でしかないと評することがあるけれども、もちろんそれは不当である)。そのこともあって、序章「〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー」と第1章「ヤンキーはどのように語られてきたのかは」は日本の70年代以降―あのドラマ「3年B組金八先生」で描かれていた受験戦争・学校の荒れ~不登校~障がい~ソーラン節のようなテーマの時代的推移―の教育社会学が関心を持ってきたことがらの一部の歴史を描いていることにもなっている。専門を異にする私がとても参考になるのは、次の分析視覚に関する説明である。

第二に、高校一年段階から二十歳代前半までを追跡しているという調査の継続性である。若者たちを長期的に追跡した代表的な研究として、高校卒業後五年間を追跡した乾彰夫らの調査がある。この研究では、高校三年時点でアンケートやインタビューをおこなっているものの、その主眼は卒業後の生活にあり、学校生活を十分に分析できる設計にはなっていない。逆に、学校を舞台にしたエスノグラフィックな研究はこれまでも多数蓄積されているが、それらのほとんどは学校を離れた後の生活まで生徒を追跡していない。それらに対して私の調査は、高校一年段階から追跡しているため、学校生活で〈ヤンチャな子ら〉の生徒同士の関係、教師との関係が実際にどのように営まれているのかを把握でき、それを学校離脱後の生活と結び付けて分析することも可能になっている。その意味で本書の試みは、「学校から仕事への移行」研究と、生徒文化研究をつなぐものとして位置づけることもできるだろう。また、対象者に高校中退者を含んでいることも、調査の継続性から得られる利点である。
18頁

このことは高等教育研究ではまだほとんどできていない。高等教育研究において、その調査ではいわゆる「ワンショット・ サーベイ」が多い、学生文化研究が盛んではない(ほんのわずかな研究者によるものにとどまる)、中退者を追跡していない、移行過程の詳細がわからないなど問題はたくさん残されている。その中でも私は特に移行過程をじっくり調べることの意義について本書から学んだ。中退による移行も含めて、ここまで綿密な研究はまったくといってよいほどできていないのである。第5章「学校から労働市場へ」では、6人の〈ヤンチャな子ら〉の移行経験が語りをもとに紹介されている。〈ヤンチャな子ら〉の生育環境は必ずしも良いものとはいえないことも多く(そのため本書では家族社会学ジェンダー論まで目配りしていて、そのことが解釈を豊かにしている)、移行経験も容易なものではない。トオル「『人の下につかない』仕事を構築する」、コウジ「現場仕事と居酒屋のかけもちから『キャッチ』へ」、カズヤ「地元で育ち、地元で生きていく」、ダイ「そのときどきを生き抜く」、中島「彼女の妊娠をきっかけに『フリーター』から正規職へ」、ヒロキ「『音楽やる』ために『派遣』として働く」、といったそれぞれの意志や状況に基づいたキャリアが描かれている。そして、複数の先行研究で示されてきたとおり、若者の移行過程において家族や地元の友だちとの関係の内容、程度が重要であることが確認されている。その中で、知り合いの知り合いから「グレー」な仕事に誘われてしまうこともあるし、専門高校を卒業した友だちの紹介でその専門性を持っていないのだけれども採用が決まることもある、というのだ。高校での学習・生活経験、移行経験、職場での経験、これらを一貫して捉えてみようとすることはほんとうに重要である。その高校を大学に置き換えて、留年や中退といった出来事、それに関係しているかもしれない家族や友だちとのネットワークにおける諸事情もふまえて理解を試みなければならないのだろう。
「ないものねだり」の感想としては、私の関心はどうしても「耳穴っ子」に向いてしまう。ここで紹介されてきた陰キャではない〈ヤンチャな子ら〉は教室で目立つ存在であろう。その斜め後ろにいて数人で固まって持ち込んだゲーム機で遊んでいる「耳穴っ子」が、こうした高校でどのような経験―教師生徒関係についても何か特長はあるのだろうか―をして、移行の道筋を歩んでいくのか、またそれに関連して自らの生まれ育ちをどのように語るのかについても知りたくなってしまう。

学生調査の話題

終章「蒙昧主義的教育行政を越えて」において、学生調査に関する指摘がある。そもそも教育行政という言葉を大学政策に対して用いる違和感はあるものの―たとえば、大学教育学会誌での『反大学改革論』の書評で私は教育行政学者と紹介されているのだけれども、本来の教育行政学者はおかしいと指摘するだろう―、筆者の分野ではそれが一般的なのだととりあえず理解しておく。

教育改革政策の根拠とされてきた実証データの中には、たとえば東京大学大学院教育学研究科・政策研究センター(2008)のように、調査方法論という点で重大な問題を含むものも少なくない。これについては、佐藤(2015:5-7,近刊)参照。
370頁注6

ここで紹介されている東京大学大学院教育学研究科・政策研究センターは、おそらく東京大学大学院教育学研究科大学経営・政策研究センターのことだと思われる。そして、参照されている「調査方法論という点で重大な問題を含むものも少ないない」研究―平成17年度~21年度文部科学省科学研究費補助金(学術創成研究費)によって実施された、平成19年1月~7月の「全国大学生調査」―の問題点は、以下の書籍で簡潔に紹介されている。

社会調査の考え方 下

社会調査の考え方 下

この5頁から7頁では東京大学大学院教育学研究科大学経営・政策研究センター(2008)の報告書において折れ線グラフの使い方が間違っていると指摘されている。確かに、横軸に「人社教芸」「農工理」「保健・家政」「その他」を置き、縦軸に割合を示す表で折れ線グラフを使うのはおかしい。筆者が修正するように、横軸を「1年生」「2年生」「3年生」「4年生」として、縦軸に割合を示し、「人社教芸」「農工理」「保健・家政」「その他」の折れ線を描いた方が適切である(もちろん、その場合であっても、なお別の問題が生じている)。ただし、この報告書は全部で6つの章から構成されていて、そのうちの1つの章だけがこの折れ線グラフを使っている一方で、「先にあげた報告書には、図9.1の場合と同じような問題を抱えるグラフが少なくとも10数点含まれている」(同書7頁)という書き方はあたかも報告書全体が間違ったグラフを使っているように読めるので、必ずしも適切ではない(私がその報告書を擁護する義務はまったくなく、他の章の担当者がこの折れ線グラフの修正を求めてもよかったはずだ)。また、おそらく筆者の中心的名関心ではないので省略されてしまっているのだが、教育改革政策の「根拠」とされたデータや、当該東大報告書には数多くの問題があると言うならば、そうした問題をもう少しだけ具体的に取り上げてもいいのではないだろうか。大学改革を否定することに性急になるあまり、読み手が誤解するような恣意のある書き方をするのは好ましくない。近刊で説明が追加されることを期待している。とはいえ、大規模学生調査が確率標本ではなく、「リテラシー・ダイジェスト」誌による選挙予測のような「数頼みの調査」になってしまっているという同書303頁の注7で指摘については、高等教育論研究者は検討しなければならないだろう。大規模学生調査にいくつもの課題はあるとはいえ、その存在が認知され始めたといった段階に到達したということでもある。その一方で、調査における様々な困難や、そもそも「エビデンス」をもとにした教育政策に対する00年代以降の否定的研究の蓄積の検討といった問題もあって、悩みは尽きない。

参考

  • 東京大学大学院教育学研究科大学経営・政策研究センター「大学生調査」

ump.p.u-tokyo.ac.jp

  • ベネッセ総合教育研究所「大学生の学習・生活実態調査報告書」

berd.benesse.jp

www.dentsu-ikueikai.or.jp

  • ジェイ・サープ研究会「“全国大学共通型”学生調査」

jsaap.jp

www.univcoop.or.jp