会社勤めをしていた頃

(1)
新卒で入社して、4月には早速、翌年実施予定の持株会社化・分社化に向けてのタスクフォースに人事部若手として参加、同時に、給与・社会保険料計算手続きの手伝い、新卒採用の手伝い、前年度人事考課・賞与計算と人事関連管理会計についてはいきなり主担当と慌しく働くことになった。このままの忙しさが続くのかと思いつつ、ゴールデンウィークが到来した。4月29日は休むことができたものの、5月1日からはずっと出社することになった。前年度人事考課・賞与計算と新卒採用で忙しくなるためである。
休日出勤の場合、たいていお昼過ぎに出社して深夜に帰るというスケジュールである。連休中の土日、誰かがテレビをつけた。当時は、戦後何度目かの競馬ブームであり、人事部のみならず同じフロアの総務部、広報部、財務部、経理部にも毎週のように馬券を購入しているファンが多かったからである。私は多少嗜む程度であって、仕事をしながら聞こえてくる競馬中継を何となく気にしていた。
さて、本題に入る前に、人事部、総務部、広報部を束ねる本部の次長について触れておかなければならない。次長はその企業の創業時から働いている、知る人ぞ知る伝説の人物である。創業者の従業員番号が1番、その次長の社員番号は一桁である―なお、その他の一桁番号の方々はとっくに退職していて、その話しは創業時のエピソード紹介で必ず紹介されるので割愛する。銘柄大学の経済学部を出て、その頃はまだガレージ・カンパニーでしかなかった、それはなんと比喩ではなく実際に自動車の車庫で営業を開始した企業に入社してしまうような、風変わりな方であった。大学4年の春先に就職活動をしている私を気に入ってくれたのがこの次長である。面接のときに数年で辞めて大学院に進学したいのだけれどもよいか、学費を貯めるために給料は結構たくさんほしい、志望する管理部門でなければ応募をやめるなどと生意気なことを言う一方、本来であればITの業界や製品に関する知識、企業の管理部門に関する知識を持っていない大学・学部の学生であるはずなのに、なぜかそれを身につけているといったことが評価されたらしい。次長のベンチャー昔語りも面白く、私は某金融機関の内定を蹴ってその企業に就職することになり、就職前も就職後も、1ヶ月に1度は次長とその頃はまだお酒をあまり飲めなかったにもかかわらず「飲み歩いて」いた。深夜3時に創業者の自宅豪邸正面入り口に案内されて行ったこともある。もちろん、行っただけで中には入れてもらえていない。
次長の趣味の一つが競馬であった。出勤時には日経新聞、総合週刊誌、競馬雑誌、競馬新聞のどれかをいつも携えていた。そして、連休中、私が競馬を知っているということが次長に把握されたのである。「おー、ニノミヤ、おまえ競馬やってたのか。早く言ってよー。じゃあ、ちょっと面白いデータあるから、ちょっと来て」、この一言が5月から7月まで、毎日19時以降の仕事の合図であった。次長がエクセルに手入力していた過去20年分の競馬データをアクセスに移して分析するという仕事である。え、これが仕事かって、はい、そのとおり仕事なのである。よくよく考えれば、そもそも冒頭に挙げたニノミヤの仕事は全体の半分であって、残りの半分は次長の秘書みたいなものだった。デスク周りのおかたずけ、社内接待のお相伴、居留守のお手伝い、役員を兼務する企業へのおつかい、政府や総会屋との生臭いあれやこれや、創業者に会いたくないときのメッセンジャーなど、いろいろな雑務(?)をしていた-なお、ご自宅のお掃除だけはさすがに断っていた。直属の元リクのマネージャー、元富士通の部長からは白い目で見られながらも、次長の命令では仕方がないなということで、約3ヶ月間、競馬データの分析に費やすようになるのであった。今から思えば、朝9時出社、退社は早くて夜10時、遅くて明朝6時であってやっぱり多忙は続いていたわけだが、この仕事がなければもっと早く帰れてたんじゃないか!とりわけ明朝帰りは大変で、その数時間後には出社せねばならず、睡眠時間はほとんどないのである(仕方がないので、日中にお手洗いの個室で仮眠を取ることになる)。
なお、競馬データを3ヶ月かけて分析した結果、次長が手計算して立てていた仮説どおりに、ある条件を満たすレースに特定の買い方をしていれば、絶対に投資額のx割は回収できるということがわかった。競馬の控除率は25%なので、まずまずの成績である。しかし、もちろん勝てるわけではない。そう、確実に、絶対に負けるものの、文無しになることはないというだけのことである。結論が出てから次長がいつもそうするように周囲にわざと聞こえるようにして私に言ったのは、「あー、やっぱりこんな買い方で遊んでても面白くねーな、じゃあ、次はパチンコで」であった。
こんな新入社員もいたのである。なお、パチンコについてはまったく知らないのでお断りした。

(2)
その辛い日々が始まったのは、学部を卒業、就職して2年目の夏過ぎの頃だった。
最初に会社は、予定通り就職して1年後には純粋持株会社へ移行して、私を含むほとんどすべての従業員はそれまであった、あるいは、新たに作られた子会社、関連会社へ転籍することになった。私と私の同期の多くは入社前にはその転籍命令についての説明を受けていなかったので、必ずしも前向きにはなれなかったとはいえ、すでに以前のオフィスから移転して10年近くが経過し従業員も大幅に増えたため、住友不動産の地上十数階、地下2階建て一軒貸しビルはもはやあまりにも狭く、そして、社内には淀んだ雰囲気も流れていたので、会社の新しい出発に対して希望を持つこともできたといえる。
私が命じられたのは、グループ企業に対して、そして、近い将来にはそれ以外の企業に対して、総務、人事系のサービスを提供する新設子会社への転籍である。当時、バックオフィス業務をいわゆる「シェアード・サービス」として請け負う企業が出現した時期であって、その時流に乗ってのことであろうか、それまではコスト・センターであった部門をプロフィット・センター化したのである。
さて、私がその転籍前から担っていた複数ある業務の一つが、給与計算系の業務受託のスキーム作りと、その実行である。私は学部生の頃からそうした人事労務についての勉強を独学していて、給与、健康保険、厚生年金、雇用保険労災保険といった各種制度の仕組み、手続きは理解していて、それなりに手計算をすることもできた。ただし、そうした個々の制度についての実務と、それをサービスとして他社に提供することはまったく別の課題であった。具体的に生じた問題は、サービス提供開始数ヶ月後から大幅な違算が生じたことである。
繰り返すようではあるが、個々の制度に関する計算は一般職の先輩方に任されていた。これは当時の同規模以上の企業では同様だと思われるのだけれども、よく知られているように人事部門内の性別役割分業の反映である。それはともかく、私はその計算をまとめたうえでサービスの提供先に伝えて、各種支払いに必要な金額を請求して、着金された金額を従業員の給与口座、国・住民税、健康保険組合、財形貯蓄先の銀行、退職給付のあれこれ…、といった宛て先にそれぞれ送金する仕事を一人で担っていた。
しかし、今となっては当たり前にわかっていることなのだけれども、これはそう簡単なことではない。宛て先によっては、事前の概算払いだったり、複数月まとめての支払いだったり、そもそも複雑で特殊な計算を必要とする項目があったり、そして、もちろん、お得意先からの着金額が誤りだったりすることもある。米国の企業とのやり取りには苦労した。しかし、私も含めて従業員の誰もがそうした事情の全体像を理解できておらず、以前とそれほど変わりなく仕事を進められるだろうと楽観視してしまっていた。そこで生じたのが、違算、しかも、過少請求ではない。過大に請求をしてしまって、理由のわからない現金が口座に振り込まれてしまっているという状態である。
就職2年目の夏から3年目の春過ぎにかけて、この違算の解明という仕事をたった一人で行うことになった。一つ一つ伝票を見て、少しずつ顧客に合計x億円を返金する作業である。しかも、仕事はグループの新卒・中途採用、教育訓練、そして、(1)で書いたような仕事が他にも沢山あったために、この孤独な作業はたいてい他の仕事を終える夕方以降から終電の時刻まで行っていて、あるいは、終電を逃してタクシー帰りである。この企業が激務であることはよく知られていて、深夜にはビルの前にタクシーが待ってくれている。しかし、就職2年目の私にはあまりにも精神的に厳しい仕事であった。食事はまったく喉を通らなくなり、アルコールを睡眠薬代わりに流し込むような毎日が1年近く続いてしまう。学生時代にはほとんどお酒を飲めなかった体質であるにもかかわらずである。体重は63キロから57キロまで落ちてしまって、給料が出るたびに買い揃えていったスーツ、シャツがまったく合わなくなっていく。この仕事を助けてくれるひとは誰もいない。そう、基本的には転職者から構成されている企業であって、先輩後輩関係による助け合いのような雰囲気はまったくないのである。時折専門的なアドバイスをくれるのは、これは先方にとっても迷惑なことであったのだろうが、会計ファームの担当者である。
1年近くかけて違算をほとんど減らすことができ、会計ファームの担当者からも理解を得ることができた。しかし、本件の責任者は私一人ということになってしまって、ますます会社に行くのが嫌になる。私からすれば、確かに第一線にいたのであるからその責任を取って最後まで違算の原因を追究するのは当然であると考えるものの、上司、先輩が本件についてなるべく無関係である装いをし続けたことに落胆してしまった。面倒なことには関わらないというのが、転職者の多い企業での生きる知恵なのだろう。ともあれ、杜撰なスキームであることを見抜けなかった責任は私だけにあっただろうか。
就職の際の心積もりとして、5、6年くらい働いてから大学院へ進学するつもりだった。しかしながら、こんな状況に追い込まれたこと、そして、当時募集を開始したものの人が集まらず苦戦をしていた某大学院社会人クラスに来るよう、学部の恩師から何度となく声を掛けられていたので、時期を早めて会社を辞めることになった。とはいえ、人間万事塞翁が馬、この頃の収入によりその後の生活に余裕ができたこと、さらには、修士を修了してから某企業に採用されることになった理由が、まさしくこの経験を買われてのことであった。こんな経験を一人でした転職者、見たことがないというのである。

(3)
修士2年目の夏、自らの不甲斐なさにようやく気が付いて、会社勤めに戻ることに決めた。秋に仕事探しをしていたところ、とある商社的なところから内定を頂いて、修士修了が確定するより約1ヶ月早い3月1日から再び働き始めることになった。
そこでの仕事の一つは、企業統合の支援であった。当時、「系列」を超えた統合や、同グループ内でも歴史的経緯から複数の別会社になっていたものの統合ということが進められていた。もちろん、その狙いは統合によるメリットを筆頭株主である商社的なところへ還元することにあるのだが、同時に、それは各企業の経営管理者にそれまでに蓄積されたネットワークをさらに活用して経営上の自立を促すことでもあった。
統合のうち、私の担当は人事に関する仕事である。たとえば、具体的には、A社の営業第一課長代理とB社の営業第二課長とでは、A社の総務部係長とB社の労務部主任とでは、A社の大卒新卒5年目28歳とB社の専門学校卒転職者32歳とでは、どちらの方の職責が重いのかを調べて根拠を提示したうえで、統合後における、配属、役職、給与等について提案することである。本来的には、この仕事を得意とするような大手コンサルティング企業に頼むべきである。これはある種の学問に紐付けられて発展した分野であろう。しかし、それには費用と時間があまりにもかかりすぎる。そこで、タイム・チャージの安い私が担うことになる。
仕事はとにかく従業員に対する聞き取り、聞き取り、そして、聞き取りである。月曜日の朝9時に名古屋駅に到着、そのまま駅目の前のxビルに入る。9時半から18時半までお昼休みを挟んで、1人につき45~60分、仕事内容を主に尋ねながら、やりがいや不満についてもお話しを伺う。次の日も同様、朝から夜までxビルに缶詰めである。夜に大阪へ移動して、次の日からさらに2日間、中之島で同じことを繰り返す。夜に東京へ戻って、翌日の金曜日、聞き取りを整理する。関係者の全員―株主、A社経営者、B社経営者、双方の労組、従業員―が納得できる落しどころを探っていく。社労士資格を持つ先輩と一緒に新しい人事、給与体系の構想を考えながらである。
聞き取りの対象者は泣き出してしまうこともあるし、怒りを露わにすることもよくあった。上役がじぶんを理解してくれず不当な扱いを受けている、伝統あるA社がなくなるなんておかしい、「系列」から離れるのは心配である、などと言われるのである。また、当たり前だとは思うけれども自らの仕事内容を「盛る」ように話されることもよくある。さらに、A社、B社の役員会議で報告すると、当方からの提案はともかくも、従業員の不満に関して憮然とした表情で反論されることもあった。それらのときに、私はどういう姿勢をとるべきなのか、後になって私はそれをどのように解釈するべきなのかだろうか。
当時、感じたこうした問いはそのままに残されている。今でもお話しを伺うという仕事をするとき、いつもこの問いを思い出すのだ。

工業高校とイノベーション

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筆者は、大阪府内の工業高校(中等教育)において長年勤務し、そこで、「課題研究」や課外活動を通じて、学生(二宮注:生徒のことだろうか)とともに実践し、これまでに10を超える発明に至った。特許などは基本的に公開して、実際に民間企業で実用化されているものも多い。その長年の経験の観察から、創造性教育において、受講する生徒には一定のパターンがあり、また受講後、多くの生徒が積極的な性格となり、そして発明・発見に至るプロセスには共通のパターンが多くみられることがわかった。
そこで本書では、柔軟な創造力形成が期待できる中等教育段階に着眼し、中等教育機関における創造性教育の現状と必要性を検証するとともに、創造性の定義づけをおこなう。そして、創造的人材の育成に向け創造性教育の実践的展開と成果から、産業教育論、経営学の知見を援用しながら、その方法論と有効性を明らかにすることを目的とする。
2頁

本書は工業高校における実践研究として極めて優れた論考といえるだろう。高校の授業「課題研究(教科工業)」とそれに関連する課外活動に焦点を絞って、そこで生じる製品開発のイノベーションの特徴を産業教育論と経営学の枠組みを参照しつつ明確に描き出しているのである。
興味深いことに、本書では産業教育論を除いて教育学に対する言及がほとんどない。このことはおそらく教育学で参考にするべき文献があまり存在していないことに起因しているのだろうか。今となっては奇異に思われるかもしれないが、工業教育や産業教育においてそれぞれの分野では理論的、実践的な研究蓄積が積み重ねられてきた一方で、教育学がそれらに関心を持って検討するということはあまりなかった。教科が成立した事情の特質からして社会や公民が理科や専門科目に関するテーマよりも強く好まれてきたり、文部省・各種審議会・財界対日教組/国家の教育権対国民の教育権といった論争に関連して、それぞれの対立の後者の立場を取る教育諸学者が産業教育を前者に位置づけたりしてきたためであるといえるだろうか。また、本書の筆者も述べている工業高校への不本意入学者の増加についても、現時点から顧みれば、60年代に人気のあった工業高校が、70年代以降に徐々に偏差値序列の中に組み込まれて人気を落としていくようになる過程で*1普通高校(この言葉は誤解を招くことがある。「特に変わっていない」「ありふれた」「あたりまえ」という意味での「ふつー」という意味ではないので、ぜひ調べてみよう)への進学、その学校が足りない場合には専門高校(当時で言えば職業高校)ではなく普通高校の増設を願う生徒やその親に対して贔屓をした教育学の問題であったともいえるだろう―さすがに、労働に関することがらを卑しいものとみなす知識人固有の問題とまでは言わないものの。本書のキーワードは経営学由来のものが多く、そのために教育学者は本書を手に取る機会がないように思われる。しかし、その縁のなさは教育学の展開―それは、他分野の学問を嫌うという性格も含まれる―に由来しているものであって、そのことについて自省するためにもぜひ読んでおきたいのである。
私が関心を持った点を2つ挙げる。まず、第1に、筆者が40年間あまり変わっていない工業高校のカリキュラムについて問題視する点である。全国の高校生総数に占める工業科の生徒数の割合はこの20年ほど9%弱でずっと安定している、「就職内定率ほぼ100%」、大学に進学する場合でも推薦やAO入試などの利用によって「進学内定率ほぼ100%」が達成されている、それらのことからカリキュラムを変えるための動機がないのではないか、と推測されている。そのうえで、次のような問題が提起される。

しかし、求人の内容をみればその本質がみえてくる。大手製造業は新規高卒を見送るところが増加し、職種をみても専門的な知識を必要とする技術職ではなく、一般作業のような職務が増えてきている。これは企業規模が大きくなるほど顕著になる。ある中堅製造業者の人事部長は、特別な知識をもたず日本に出稼ぎに来る外国人労働者でも対応できる作業が8割あるという。つまり、製造ラインの自動化や産業機械の発達により、特別な技術や技能の不要な一般作業の割合が増えているのである。しいていえば工業高校卒業生は作業服を着るのに抵抗がないとか、大きな声で挨拶ができるとか、スパナやレンチなど、工具の名前を知っているということが評価されている。しかしこれらは技術でも技能でもない。つまり、本来、産業教育のなかで重視されてきた技術・技能が評価の主体(二宮注:対象、焦点のことか)ではなくなってきたということである。
このことは現役教員の発言からも見て取れる。「工業高校出身者は元気に挨拶ができて作業服や帽子をきちっと身につけることができることが企業で高い評価を得ている」と宣伝するのである。製造作業に従事するということを考えれば、作業服を着こなすのは安全作業の見地からは当然のことである。挨拶はもっとも初期段階にあるコミュニケーションの手段であり、社会人として常識である。これが評価指標のようにいわれること自体が問題である。
31-32頁

カリキュラムが変わらないのは、それだけ成熟した教科だということなのだろう。大学においても基礎的な工学の講義内容は(それは、実のところ工業高校の教科書と重なりを持っている)、戦前期のそれと変わっていないという話しを聞くこともある。したがって、私はカリキュラムについてはそれほど違和を覚えない一方、規律や立ち居ふるまいばかりが評価されるのはイノベーションという観点からはあまり好ましくないと考える(もっとも、普段私は挨拶をしない文系大学院生ばかりに会っているので、羨望の気持ちを持つこともある)。
第2に、筆者が「課題研究」を通じて「高校生という意識を払拭させる」と主張する点である。以下に見るように、もはやなんとなく想定される高校生の日常を超える負荷がかけられている。

評価について、「知識・技能」「意欲・態度」という点では、差がつくことがイメージできるであろう。しかし、「参加率」は授業でおこなわれることから、差異はないと思われるかもしれないが、実はそうではない。「課題研究」は年間3単位、つまり1週間の当たりの授業数が、50分の3コマということになる。無論、この時間では、製品開発などできるわけがない。実は、時間割上は50分×3コマであるが、実際には、毎日放課後、平均して3時間程度、土曜日は6時間程度の作業をおこなう。納期のひと月前あたりになると、放課後の作業時間が徐々に延長し、納期1週間前になると、放課後6時間、22時を超えることは恒例になっている。無論、教員は放課後の「残業」を強制しない。それゆえ「参加率」に差が出てくるのであるが、よほどの用事がなければ先に帰ることがないのも事実である。それぞれメンバーが自分の仕事を自覚し、納期を自覚すれば、おのずと時間は延長される。それとは逆に、集中が高まれば、作業中の時間の感覚は、かなり短縮されるのである。「学校に行っているのか、仕事に行っているのかわからない」。これまで何人もの生徒が、保護者にいわれたそうである。
118-119頁

このことは教育学で言えば、学習・評価観のパラダイム転換、「真正な学習」「真正な評価」につながる論点である。そのようなことは工業高校では以前から行われいたのであって、特に新しいことでもない。絶対的な納期があるのだから、それを守らなければならない、そのためには例に挙げられるような時間という資源を有効に利用しなければならない。この感覚は普通高校、あるいは、文系の大学ではなかなか身につかない―甘い「先生」は宿題の締切日を延長してくれる。他方、それは確かに「真正」である一方で、だからこそ教育社会学者からは過度の部活やアルバイトと同じ問題が指摘されるかもしれない。「残業」と表現されていることからもわかるように、ほんとうにそこは「現場」に近しい状況が再現されていて、ゆえに22時超えの作業が必要となる。このことは、「真正」性と「(保護されるべき対象への)教育」とのディレンマである。工業高校出身が企業から期待されるのはこうした姿勢が身についていることも一つの理由であるのだけれども、同時に、「納期」と「労働時間」を比較した際に前者を優先してしまうことの問題が覆い隠されてしまうこともあるだろう。
最後に、製品開発の一事例として「廃材燃料給湯器」の課題を紹介しよう。2011年3月中旬、ある工業高校の自動車部で被災地支援として何ができるかが話し合われた。過去に開発したものはいくつかあるものの、緊急に対応できるようなものはなかった。

何かできることはないか、テレビの画像をもとに出されたアイデアが、廃材を燃料として給湯する簡易のお風呂である。映像をみる限り燃料となる廃材は沢山あり、逆に処分しなければならない。飲料水は不足しているらしいが、場所によっては川や井戸の水がある。ペットボトルに入れて湯たんぽにするのであれば、汚れた水でも利用できる。震災後、はじめての活動日となる3日後。このことをメンバーと協議した。全員の賛同を得たあと、必要な機能を選定し、設計にとりかかった。避難所で寒さに震える人たちに、少しでも温かさを届けることが全員一致の目標となった。
3月15日火曜日、描き上げた図面をもとに、加工方法を確認した。設計に当たり出された条件は以下のとおりである。

1. 家庭用の風呂(200L)を1時間以内に沸かせること
2.現地では道具が不足しているため、廃材をできるだけ切断せず、投入できること
3.自動車が入れない場所でも設置できるよう、大人2人で移動が可能なこと
4.衝撃や水分に耐久性があること
51-52頁

さて、実際にはどのような設計になっただろうか。この後の展開と合わせて、本書で実際に確認してほしい。

*1:「一元的序列化」である(乾彰夫、1990、『日本の教育と企業社会―一元的能力主義と現代の教育=社会構造 』大月書店より)

「社会を知る」キャリア教育

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ナカニシヤ出版様よりお送りいただきました。ありがとうございます。

類書との違いは「社会を知る」というテーマが、全体の3分の1ほどを占めていることである。最近はそうではないキャリア教育のテキストは増えてきてはいるものの、かつて大学生が読むテキストの多くはアカデミックな背景を持っていない企業人、MBAホルダー、フリーライターによって執筆されていて(学者向けの理論書はそれなりによいものもあった)、ややもすれば大学生の「自己責任」を強調することが多かった。たとえば、大学生のうちに「社会人基礎力」を身に付けることが就職するために必要である、「自己分析」を綿密に行って就職後の「ミスマッチ」を防ぐべきである、といった主張が頻繁に行われてきた。しかし、こうした主張はあくまでも企業にとって有利な観点から行われているものであり、大学生にとっても同じメリットをもたらすかどうかは不明である―たとえば、仮に「社会人基礎力」が必要なスキルだとして、それを身に付けるためのコストを負担するのが誰であるべきかという問いを隠すことによって学生にこっそりと転嫁している、あるいは、「ミスマッチ」が生じれば転職すればいいだけのことであり、その場合に明確に損をするのは採用活動に経費をかけた企業である。また、そもそも、どれだけ「自己分析」を行って「マッチ」する企業に就職したとしても、その企業が労働法を守らない場合に学生、若手職業人の「自己責任」を強調するばかりではどうしようもない。さらには、「自己分析」をしたところで、結局は需給バランスの問題で「マッチ」する企業、安定した企業に就職できたりできなかったりする。やはり「自己責任」ではどうしようもない。
ところで、「企業の社会的責任」とは何か、その指標にはどんなものがあるか、それを投資家はどうのように利用しているか?就業規則とは何か、整理解雇とはどういう意味でどんな要件が必要なのか?ブラック企業、ブラックバイトとは何か?ジェンダー・ギャップ指数、ポジティブ・アクションとは何か?福利厚生とは何か?社会保険とは何か?一般の職業人でもこうした質問に対して的確に答えるのは難しいのではないだろうか。何となくネットのまとめサイトの情報に依拠してイメージできるかもしれないけれども、実のところ知らないことばかりである。じぶんの身を守るために必要な知識をこうしたテキストから得るのも良いことであろう―もちろん、ここで紹介した問いの答えはこのテキストに掲載されている。
時折、理工系の教員から、キャリア教育の授業での「自己分析」や業界研究もいいのだけれども、労働法や社会保険についての知識を学生に身につけさせたい(毎年のように、塾のブラックバイトに騙される学生がいる、研究室教育にも支障が生じるなど)と相談を受けることがある。社会科学系の学部学科では専門の授業の中でそうしたテーマへ言及されることがあるのだけれども、理工系ではあまり機会がないことゆえの問題提起である。キャリア教育の課題として、引き取るべき論点である。

科研プロジェクトの情報

大学における新しい専門職に関する研究 - 大学教育学会2017年度課題研究集会2017.12.3発表
科研を頂戴して進めているプロジェクトの情報につきましては、こちらのウェブサイトに掲載しています。
現在、聞き取り調査を継続して進めています。また、質問紙調査の準備を開始した状況です。

Cherrystone Clam

 「大学第一世代(First-Generation)」という言葉がある。両親の最終学歴が高校段階以下である大学生の抱える固有の困難に着目する概念である。主に米国でこの困難についての「問題」が「発見」されて、場合によっては必要な支援を行うという対応が図られてきた。

「ユニバーサル段階における"大学第一世代"への学習支援に関する基礎的研究」(科学研究費補助金基盤研究(B)、2003年~05年)
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-15330179/

 日本でも、2000年代初頭にはすでに研究が始められている。しかし、あまり省みられることのない「問題」であるだろう。家庭環境について考えることは失礼である、両親など関係なくどんな環境でも努力すれば頑張れるはずだ、支援の対象をある層に限定するのは不公平である、こうした規範の存在がその理由であるかもしれない。

 ところで、今年の大学1年生が1998年生まれであって、そのときの両親が30歳であるとしよう。両親は1968年生まれである。1968年生まれが18歳になったのは1986年のことである。1986年の大学進学率は男子34.2%、女子12.5%、短大も含めた進学率は男子36.0%、女子33.5%である。なお、周知のように進学率は都道府県によって大きく異なる。これよりもはるかに高い地域、低い地域がそれぞれある。一方、2017年には男女ともに短大を含めた進学率は半数を超えている(専門学校を追加すれば8割に届く)。「大学第一世代」は思いのほか多いことが窺えるものの、同時に、それは少数派でしかない。しかしながら、私が重視するのは、まさしくこの少数派であるという点である。「大学第一世代」が圧倒的多数派であった時代、たとえば、団塊世代とはまったく異なる困難がある。周囲の多くが自らと似たような境遇であれば、その困難を集団的に解決できるかもしれない。しかし、もし、自分だけが大学に入って困っているようだとすれば、さてどうすればよいのだろう。両親からのアドバイスも期待できない、あるいは、大学に進学することが期待されていない場合で大学生活がイメージできるような生活(授業では扱われなかったけれども教科書の応用問題にも取り組んでみる(勉強はここまででいい、と決め付けない)、自分で書店や図書室で本を選んで精読したり乱読したりする、漠然とではなく困難を細かく特定して言語化したうえで適切な他者からの助言を求めるなど)をしてこなかったような状況で、大学での学習方法がわからない、各地から集まる同世代の他人の「ノリ」に合わせられない、サークルや部活動での楽しみ方がわからない、学習とアルバイトとの兼ね合いがわからない(タイムマネジメントができない)、こうした場合において、伝統的な大学であれば「学生は大人なのだから、自分自身で困難を解決しなさい」という回答が与えられたのだろうけれども、それはあくまでも学生が多数派であれば意味のある示唆であったにすぎない。少数派に対して「自分でどうにかせよ、それが公平である」という主張は、他の少数派について提起される社会的な「問題」と同じように、時としてあまりにも厳しい宣告となる。

http://diamond.jp/articles/-/139066

 そんなことを思い出したのは、「ダイヤモンドオンライン」の「岸博幸の政策ウォッチ」という定期コラムの中で「安倍政権の『出世払い型教育国債』は低レベル大学を延命させる」という記事を読んだからである。岸は慎重な姿勢を見せつつも、次のような表現で学ぶ意欲が少ない学生を問題視している。

これに対して日本では、大学生の大半は高校を卒業してそのまま(または浪人して)大学に入り、かつフルタイムの学生です。言い方が悪くなってしまいますが、学ぶ意欲も目的も不明確だけれど、周りに合わせて取りあえず大学に入ったという大学生も多いのではないかと思います。
(略)
というのは、もちろん学ぶ意欲がある学生や成績優秀な学生への支援は必要ですが、大学の数が多過ぎて水準にもかなりの差があり、かつ高校からストレートに大学に入る学生が圧倒的に多いなかで、学ぶ意欲や「成績優秀」の客観的な判断基準をつくれるのかが疑問だからです。

 岸の主張は、学ぶ意欲の少ない学生や、そうした学生が多くいると推測される低レベル大学(原文ママ)に進学するような学生は、卒業後に学費を返還することは難しいだろうし、かつ、学ぶ意欲の高い学生の多い大学を選別することは不可能なので豪州モデルの政策は採用できない、というものである。

 さて、おそらく岸もわかっているような節があるのだけれども、他人の持つ意欲の多寡を推し量るのは難しい。自分の意欲でさえ、その対象によって、その日の気分によって、周囲の状況によって変わるだろうから、それが高いとか低いとかを主張するのは躊躇してしまう。いや、実際の意欲の多少にかかわらず、それが高いと見せかけることは、恵まれた家庭に育っていれば簡単なことなのかもしれない。たとえば、新しく構想されるような入学試験において、中学・高校時代のボランティア経験や留学経験、授業とは関係のない探求的な学習活動、クラブ活動で収めた優秀な成績など、学ぶ意欲が高いことを試験担当者に類推させるようなポートフォリオを提出すればいいのだ。

 ここで、話しを元に戻そう。学業成績のみならず、意欲の多寡についても、そのすべてが本人の努力で説明されるということはなく、育った環境の影響を受けるということが教育社会学という学問分野で説明されてきた。初等中等教育段階での調査を元に明らかにされてきた事実であるものの、高等教育においても通じるテーマである。「両親が勉強を手伝ってくれた」「両親が劇場や美術館に連れていってくれた」「家庭に百科事典があった(これはさすがに古いか)」「両親が大学進学を勧めていた」「両親がよく本や新聞を読んでいた」などの設問に対する肯定的な回答と、学業成績や意欲が正の相関を見せるという定説である―なお、もちろん、これについて、とりわけ学者から私はそうではなかったけれども今の地位を達成したという反論を頂くことがよくあるのだけれども、そうした事例の存在を否定しているわけではない(田中角栄松下幸之助を見よ)、また、男親と女親とで影響の表れ方が違うということも明らかになっているのだがここでは触れない。「大学第一世代」は意欲を持つことについて、さらに言えば、意欲を持っていると他者に対して見せかけることについて不利な状況にあることが推測される。意欲の多寡を入学試験、学費貸与や奨学金支給のためなどの選別に用いるのは、学業成績と同じように、いや、基準が曖昧になるのでそれ以上に不利な層が益々不利になるという問題があるのかもしれない。それは「大学第一世代」ではなく、両親が大卒であっても何らかの事情で子どもに教育資源を十分には受け継げない場合でも同じことである。

 そして、岸の主張に対してひっかかったことのもう一つが低レベル大学(原文ママ)という言葉である。岸は次のように主張する。

このように考えると、単純に出世払いと国債の組み合わせというオーストラリア方式を導入するだけではダメで、少なくとも出来の悪い大学は潰す(=教育の市場から退出させる)仕組みを同時に導入することが必要なはずです。それなしには、政策目的は教育無償化と耳触りがよくても、結果的に出来の悪い大学が生き残るための補助金に化けてしまい、文科省の権限と予算が膨張するだけです。

 行間から推測すると、どうやら入試偏差値の低い大学を意味するようである。これも周知のようにいわゆる銘柄大学でも「出来の悪い」講義・授業をなさる先生がいたり、学生が受ける英語の外部試験のスコアが学年進行に伴って下がっていったりするわけだけれども、おそらくそれを指しているわけではない。また、入試偏差値は入試形態やその入試による合格者人数の設定などによってある程度の操作が可能であり、さらに、その低さは大学の立地、設置主体、競合する大学の有無、その地域における高校生の数、など様々な要因の影響を受けた結果であって、当然のことなのだけれども教育内容の適否を反映しているわけではない。そうした各事情によって入試偏差値は低いものの、学生の、それこそ意欲の喚起に成功しているとして有名な大学が沢山あるのだ―ただし、その意欲の喚起は伝統的な学業を媒介とするわけではないので、学者からは睨まれることもある。
 
 入試偏差値が低い大学を潰すべきだという主張は、ある意味でポルノグラフィ的であるとも言えるのか(≒えふらんバッシングぽるの?))、私たちの劣情なり卑しい心なり―それは限られた国家予算を適切に配分するためだ、エリートにこそ予算をつぎ込むべきだといった正義感を伴うことさえあって厄介である―を喚起させる傾向がある。ページ閲覧回数も稼げるからか、あまりにもよく見かけるテーマである。しかしながら、だからこそ、学者が仮にそうした主張を展開したい場合には、使うデータや概念に気をつけなくてはならないはずである。私は岸の主張を必ずしも全面的に否定するというわけではないのだが、そうであってもより慎重な議論が必要という立場をとるのである。