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2017年度『若者論を読む』勉強会の開始

学内の一部でお知らせしているとおり、5月上旬から「群馬大学2017年度『若者論を読む』勉強会」を開始します(自主的な勉強会のため単位取得は関係ありません)。第1回の説明会は終了しましたが、参加者は今後も随時募集します。学内の掲示を確認してください。
説明会に参加なさった皆さんのご意向をふまえつつ、最初に


浅野智彦、2011、『若者の気分―趣味縁からはじまる社会参加』

趣味縁からはじまる社会参加 (若者の気分)

趣味縁からはじまる社会参加 (若者の気分)

を読むことにします。少し古い本ですが、今でも若者の感覚を捉えることに成功しているといえるでしょう。

1990年代以降繰り返されてきた若者へのバッシングの一つとして、公共性の喪失とでもいうべきものがあった。若者が、狭い空間に内閉し、公共性を失ってしまったというのである。政治的な関心や投票率の低さ、社会的な常識の欠如、職業意識の衰退、等々の話題がそれに結びつけて論じられてきた。そのような語り方の原型を提供した作家・評論家中島梓は、そいった若者のあり方を指して「コミュニケーション不全症候群」と呼んだ(『コミュニケーション不全症候群』筑摩書房、1991年)。彼女の見るところ、若者たちは、親密な関係に多大なエネルギーを注ぎ、その結果として親密な関係の外部にいる人々を人間扱いできなくなっているというのである。そしてそのような若者のいわば最も先端的な形態がオタクであると中島はいう。
繰り返すが、もしそのようなオタク的趣味においてさえ、若者を社会参加へ押し出す力が内在しているとしたらどうだろうか。その場合、若者が楽しんでいる他のさまざまな趣味を含めて、趣味と公共性との関係についてもう少し別の見方をすることができるのではないだろうか。本書で探ってみたいのはそのような別の見方だ。
といっても、若者の社会参加について楽観的な見通しを示そうというわけではない。本書を読んでいただければわかるように、明るい面とそうでもない面とはまだら状になっている。実際、先にあげた二つの事例にしても、その結末は必ずしも明るいものではない。都の青少年健全育成条例改正案はいったんは否決されたものの、再度の提出によって結局半年後には成立することになってしまった。また秋葉原デモの約1年後、さまざまなパフォーマンスでにぎわったその場所で無差別殺傷事件が起きた。その容疑者もオタク的な趣味にかかわる一人であったが、彼の人生を暴発させた情念が社会参加という形をとることはついになかったのである。
2-3頁


第1回の説明会に参加なさった方の関心に沿うものであるでしょう。月に1度程度の勉強会、楽しみにしています。

テイストの社会学(春の若者論三本勝負第二戦)

これも同じく講義で学生に読んでもらうために購入、その予習として勉強した。しかし、初学者にとっては難しそうである。ただ、分析篇の本文中に統計の説明が紙幅の許す限りで組み込まれているので、がんばって付き合ってもらえるだろうか。
ともあれ、とても勉強になったのは理論篇である。私はどうしても高等教育、再生産に着目してしまうので『遺産相続者たち』や『国家貴族』の論点に引きずられてしまい、文化研究そのものに疎かったためである。

現在では、英語圏でも状況にそれほど差はなく、サブカルチャー研究、ファンダム研究を目指す若手研究者は、ブルデューの用語系とCSの用語系を容易に交差させながら―「量的」でない理由は明示されないまま―「質的」な調査を試みる。そのときの質的調査では、大きな歴史的蓄積を持つ社会学的フィールドワーク、都市社会学、地域研究の成果はほぼ参照されることはない。「卓越化の理論+フィールドワーク」という組み合わせは、統計的手法や社会学の伝統を、「反社会学」としてのCSを媒介させることによりスルーする論文生産パックとなってしまったといえるだろう。
(略)
分析者が自分自身のサブカルチャー受容において特定の日常的態度を持っており、その態度をほとんど変更することなく、それどころかその態度に理論・概念・用語を与えてくれる道具としてブルデューが選出されている、ということが考えられる。つまり「卓越化/差異化」の枠組みで(自分も含めて)文化を受容すること、文化受容を分析すること、である。記号論的な消費社会論が流行したのは、時代の当事者感覚(階級的刻印を脱色された卓越化ゲーム)と共振していたから、としばしば指摘されるが、それと同じことだ。
48-49頁



かなり厳しい指摘である。確かに、そうした傾向のある論文がいくつか思いつく。それぞれは一見するとおもしろく、学生に対して「卓越化」を例示する際にはうってつけにみえるものもあるのだが、やはり既存の社会学の知識との断絶は問題なのだろう。

こうしたやや挑発的なゴールドソープの議論は、1980年代のイギリス教育改革、サッチャー政権下の公教育投資削減の方向性と対峙していたハルゼーのような教育社会学の議論を承けたものであり、公教育の効果、有意義性を主張する社会学者、教育学者にとって公教育、教育機関の効果を低く見積もる方向性に解釈されかねないブルデューの「非学校的」な文化資本概念規定は、たんに方法論的のみならず、政治的にも警戒すべきものであった。この点、文化資本概念をサブカルチャー分析の「理論」としてわりと無批判に受容したアメリカや日本のCSと、標準的なイギリスの教育社会学者とでは立ち位置が異なっている。
56頁

この点は、私にとってはようやくお馴染みの議論である。日本における教育学と教育社会学との間のあれやこれやに関する問題につながるものでもあり、いやこれ以上はやめておこう。授業で取り上げると、社会学と教育学とでも反応が分かれるところである。

広尾、麻布十番、六本木、今日はどちらに下りるか

二十一世紀の若者論―あいまいな不安を生きる

二十一世紀の若者論―あいまいな不安を生きる

講義で学生に読んでもらうために購入、その予習として勉強した。しかし、筆者が冒頭で言うように「若者論」論であることから、若者論をかなり読み込んでいないと難しいかもしれない。

最初にお断りしておきたいことがある。本書は『二十一世紀の若者論』を銘打っているが、現在を生きる若者たちそのものを論じた本ではない。往時から比べれば少なくなったのかもしれないが、いまでもアカデミックなものはもとより、ジャーナリスティックなものも加えると、夥しい数の若者についての言説が算出され続けている。本書は若者論ではなく、「若者論」論、もしくは若者についてのメタ社会学を企図したものである。
7頁


第1章新井克弥「宮台真司という現象」では、宮台による若者論の功績と問題点が指摘されている。興味深いのは、1990年代の宮台が大都市圏、高偏差値の若者、とりわけ当初はその中でも男子に軸足を置いていて、そのために幾許かの限界があったのではないか、という指摘である。なるほど確かに、宮台の論考を読んで想像されるのは、「麻布、塾高(二宮注:慶応義塾高等学校)からなる超高偏差値の港区先端文化圏」(30頁)である*1。同時に提起されているマスメディアで活躍する社会学者の意義とは何かという論点はさておき、当時の私には宮台による鮮やかな分析について、実はそれほど違和感がなかったこと思い出した。麻布でも塾高出身ではなく、港区にもほとんど縁がなかったにもかかわらずである*2。そのハイブロウ(?)な文化はいずれ全国に波及するだろう、そのためそれを研究することに意義があるのだと思い込んでいた。しかし、それは私の浅慮にすぎなかっただろう。言及されていた男子校文化は港区、あるいは、東京、首都圏に留まっていたような印象を持っている。現代ではどうなっているのだろうか。そして、もちろん、宮台以降、その限界を乗り越えるような実証的研究が数多く行われていて、だけれども宮台が引用されることは少ないという指摘もとても面白い。宮台システム論を読み直して、それが継承されない理由を考えてみたくなった。


第6章鈴木弘輝「スクールカースト能力主義」では、2010年代に焦点化されるようになった「スクールカースト」について、能力主義批判の観点から捉え直す必要を説明している。筆者は本田由紀のハイパー・メリトクラシー論が学校内外の生徒たちのコミュニケーションをも説明できているとしたうえで、立岩真也に依拠して能力主義が個人の存在、生存を規定している状況を批判的に論じている。そして、スクールカーストもそれと同様に能力主義が原因であるという。私は学校の現場においてはそうした問題意識は極めて重要であるし、筆者が結論として言う「能力を問われることのない場」(144頁)は大切であると認識している。他方で、筆者が学校現場への能力主義の浸透を問題視するというときに、社会の統治の一原理としての能力主義を否定できるかどうか、もう少し知りたいところである。学校が担う役割の一つである選抜を手放すということになるのかどうか。


第9章小谷敏「若者文化の絶望と希望―消費される『若手社会学者』」では、タイトルにはそう書いてはいないものの、第1章に対応して古市憲寿が取り上げられている。「『古市さんの本を読んだら、先生(二宮注:小谷敏のこと)のお名前がたくさん出てきました。先生ってすごい人だったのですね。知りませんでした』私のことを「すごくない」と思っていたこの若い先生が」(187頁)、「この論者(二宮注:同上)のことばは『まだ髪の黒かった頃の小谷敏は』という注釈(?)つきで古市によっても引用されて」(202頁)、大変失礼ながら笑ってしまった(ごめんなさい)。エリートではない若者が古市の主張に対して「ずるい」ということが多いという筆者の経験と平仄を合わせるように、私がかつて在籍した大学や非常勤を担当した大学(たぶん、どちらもエリートのところ)ではそのシニシズムへの共感が強かったことを思い出した。たとえば、右派であれ左派であれデモなんて意味はなく自己満足にすぎないし、身をわきまえて粛々と生きていけばよいという反応が多かったのだ。そして、その次には「どうせ、私たちはゆとり世代だから」という理由が付される。ゆとりがシニシズムを生んだのだとしたら皮肉なことであるのだが、当然そう判断するのは性急であって、むしろそのときの私はそれらが結び付けて語られることじたいに注目するべきであったと思い直すのである。ともあれ、筆者が言うようにほんとうに若手社会学者という「キャラ」が「消費」されているだけにすぎないと思うのだけれども、おそらくはそのことじたいが商売になっているので、当事者としては御の字なのだろう。どこかの領域では「消費」や「生産」という言葉に対する感覚が鈍くなりつつあると指摘できるだろうか。


第9章で書かれている、本全体を通しての結論は以下のとおりである。

文化だけではなくライフコースの面でもこの二〇年間で若者と大人との区分は不明確なものになってしまった。若年非正規勤労者の急増と非婚化晩婚化の進行とによって、就職と結婚によって最終的に果たされてきた若者から大人への移行は、万人に保証されるものではなくなってしまった。九〇年代以降、様々な意味で若者と大人との区別は不明瞭なものとなり、「若者」の固有性が喪失していったことは疑いない。若者を論じようとしても対象となるべく若者の存在が確かなものではないのである。そこから導かれるのは必然的に「若者論の消滅」という結論である。
だがやはり安易な予言は厳に慎むべきであろう。(略)日本の若者が置かれた状況は確かに絶望的なものなのかもしれない。しかし、若者たちは決してあきらめることなく、社会に対して何か新しいものを、大人たちの思いもつかない形で発信し続けていくに違いない。ここに若者文化の希望はある。
203-4頁


高等教育論が引き取るべきことは少なくない。少なくとも「消費」を「生産」であると勘違いさせる仕掛けの多い、この現代の大学において。

*1:塾講・サイバラ・大学祭 - 群馬大学 二宮祐研究室 ←私としては塾高といえばこれ。

*2:私はその後、一時期港区に住んでいたことは公然の秘密である。

無果汁ゼリーってよく置いてあるよね

これは大学1年生の晩夏のできごとである。その年は記録的な猛暑で、一人暮らしの部屋の電気代を節約するべく、クーラーのあるアルバイト先にお給料も出ないのに居続けたり、児童書しかない市立図書館分館に入り浸ったりしていた。大学にはパソコンルーム以外、クーラーなんてなかったのだ。

そんなとき、高校時代に1年間だけ入っていたテニス部の友達E君から電話が来た。実は合唱を始める前はテニスをしていたことをここで打ち明けてみたけど、どうだみんな驚いたか。それはさておき、E君は久しぶりに話しがしたいという。彼はとても優秀で、周囲は京大法学部に行くだろうと噂していた。ところが、進学したのは多摩地区のとある中堅私立大学であった。そう、彼はある宗教の敬虔な信者であった。彼がいわゆる二世信者であることは高校時代から知っていた。日頃彼がその宗教の新聞や雑誌から学んでいたことを私に教えてくれていたためである。通学途中の地下鉄車内で、私がくーからくーかりと古文の文法丸暗記の練習をしている一方、彼はその宗教のリーダーが書いたとされる長編の本をいつも読んでいたし、一度だけニュータウンの高層住宅にある彼の家へ遊びに行ったときには機関紙や特徴ある仏壇を目にしていた。そういえば、この高層住宅の意味付けは時代や地域によって異なるものである。この文章での高層住宅とはどのような意味だろうか。

その宗教は1950年代、60年代に特に都市で信者を増やしたと言われている。農村では生活できるだけの職に就けない若者が都市に出て、学び、働く。地縁、血縁から切り離された生活において、それは頼もしい対象になるだろう。その新しいつながりの中で、仲間もできただろうし、恋人もできただろう。現世の生活を少しでもよいものにしてくれるというわずかばかりの信仰を持つ人びとは、私の研究分野でよく対象となるその少し後からやってくる、社会矛盾を根本から解決するという革命のために生きようとした大学生とは異なる日々を過ごしていた。そんな時代のことである。1970年代、80年代に入って生まれた二世がその信仰を継ぐのは自然の成り行きだっただろうか。なお、この数行について、史実に誤りがあれば都市社会学、宗教社会学のご専門の方からのご助言を頂ければ幸いである。

さて、E君とは土曜日の午前11時にJRのK駅で待ち合わせをすることになった。赤い三角屋根の建物で有名な駅である。とても小さな駅である。彼をすぐ見つけ、あらかじめ電話で約束していたとおり、焼肉食べ放題店Mに出向いた。「プロのための店」を標榜する小売店が経営している人気のレストランである。でも、「プロのための店」で厨房着のままのほんもののプロがお買い物しているのを見るとなぜか悲しくなってしまうことってないだろうか。いや、それもさておき、今でもよく覚えている。土曜日ランチが1,480円、時間制限なしである。時間制限がない、つまり、夜までいられる、つまりディナーまで食べられるのである。それを狙って、その店にいたのだ。なお、残念ながらMはもうない。今はフィットネスクラブになっているはずだ。食べ放題店からのフィットネスクラブへの転換って…。

ここで、結論を言おう。その日は午後10時までその店にいたのだけれども、E君とは二度と会わないことになった。私は高校時代の懐かしい話しや大学での日々のあれこれの話しをしたかったのだけれども、それは叶わなかった。彼がK駅までわざわざやってきたのは「しゃくぶく」のためであった。熱意を込めてただひたすらに、その宗教の素晴らしさを、とりわけ当時はまだ世界的に活躍していたリーダーの素晴らしさを訴える。そして、多摩地区で行われる次の大学生中心の勉強会に遊びに来てほしいと誘うのである。私は残念ながらまったくその宗教に興味はないし、さらに言えば、その宗教と関係の深い政党に対して疑問を持っていたため、話しは平行線をたどるばかりである。クーラーが効きすぎて肌寒くさえ感じる店の中で、焼肉食べ放題、宗教、政治、焼肉食べ放題、宗教、外交・防衛、焼肉食べ放題、宗教、政治、焼肉食べ放題、たまにカレー・サラダ・デザート(=無果汁ゼリー)食べ放題、宗教、政治、焼肉食べ放題、歴史認識コミュニズム、その繰り返しであった。

E君は譲らなかった。私を勉強会に誘うことが絶対の目的だったのだろう。今でもそうだが、大学生、特に名のある大学に通う大学生はターゲットになりやすい。妥協するところがまったくないのである。暗くなったMの店外で、宗教の話しならもう会わないと伝えた。私が強く強く怒っている一方で、彼は戸惑いながら寂しそうに微笑み、K駅の方へ去って行った。

E君とはずっと会っていない。噂ではその宗教の機関紙に就職したという。ただ、数年前、私はある機会に生まれてはじめてその宗教で行われる葬儀に列席して、ああ、そうだったのかと思ったのである。亡くなった方の親戚は遠方に住むお年寄りばかりのために来られなかったのだけれども、他方で近隣の信者50名ほどが集まって一斉に驚くほどの大声でお経を唱えるのである。南無妙法蓮華経。皆、お経の書かれた紙を手にしているとはいえ、ほぼ暗唱なのだ。そこに進行役はいるが、お坊さんはいない。平等にお経を唱える。あたかも合唱である。そうして、都市に孤独はない。

民衆こそ王者とはこういうことであったか。E君はどうしているだろうか。毎年春になると、各地の大学で見かける第三文明研究会、東洋思想研究会のフライヤーで思い出すのである。

塾講・サイバラ・大学祭

学部生の頃、多摩地区の進学塾で「時間講師」のアルバイトをしていた。池袋に本社のある、W中高に強いWという塾である。時給はかなり高く、授業時間外勤務分は無給であり、かつ、それが授業時間よりも長いという実態であったことを差し引いても―現在よく問題にされている慣行である―、なお学部生にとってはありがたい仕事であった。夏期講習だけで学費半年分以上を手にするほどであった。
さて、仕事を始めてから半年ほど経過した頃、新たに「時間講師」Kさんが採用された。僕よりも年上の女性で、これまでも他の進学塾で経験があるということだった。担当科目が同じであったために仲良くなって話しを伺うと、早稲田の一文の4年生であるという。Kさんは事情があって就職活動はしない一方で単位は取り終えているため、しばらくはアルバイトで生活をするとのことだった。かなりたくさんのコマ数を入れて、塾内でも高給を貰う立場になっていたはずだ。
そんなある日、通っていた大学の学園祭に西原理恵子スペシャルゲストとして来ることになった。学園祭は2種類あって、それはとても冴えない方のお祭りだった。前期課程の1、2年生が通う私鉄沿線のキャンパス―正式名称は分校―で行われるもので、そのお祭りに集まるのはその大学の1年生―男子学生が8割ほど、学部によっては9割5分以上―と近所の小学生だけとイベントである。最近では日本一美味しくない学食が存在したという話題がネットで繰り返されることで有名になったのでご存知の方もいるかもしれない。数年後には取り壊しされることがほぼ決まっていたため行われる補修は最低限で、雨漏り、床の落下、壁の剥がれ、机の故障などが酷かった。近所には女子大があったものの、そこの学生はもう1つの方のオサレなキャンパスで開かれるイケメソ上級生が集う学園祭に行くだけなのだ。
塾での勤務時に、そんなことを冗談交じりにKさんに話してみた。今でいうワンチャンとかではなく世間話しとしてである。すると、Kさんは思いの外、西原理恵子に飛びついた。以前からファンであるので、是非行きたいというのである。ただ、そのものがなしいキャンパスのことはまったく知らず、場所も行き方もわからないという。まさかのワンチャンなのかと思ったものの、Kさんは一人でなんとか行ってみると強く主張する。実のところ、西原理恵子にもKさんにもそれほど思い入れがあるわけではなかったので、そのときこの話題はすぐに終わりになった。後日、Kさんに学園祭当日のことを尋ねてみたところ、西原理恵子にサインまで貰って楽しかったとのことであった。早稲田の学園祭にも西原理恵子を呼べばいいのにと言っていた。





さて、もう何年も経ったので言っていいだろう。この学園祭の約1年後、ある嘘に気づかされることになった。同じ「時間講師」のIさんから「ニノミヤくん、ずっとウソつかれてたよ。もうおかしくって、今日は黙っていられない」と笑いながら打ち明けられるのである。そのIさんは日吉の塾高出身、慶應法学部3年生で、僕がその塾でお世話になったひとの一人である。卒業後は大手広告代理店に就職することになるほど優秀で、しかも親切だった。東京における男子の所作を懇切丁寧に教えてくれて、僕は必死で学んだのだ―ほとんど身に付かなかったけれども。ともあれ、残業をしていて終電を逃した深夜の暇つぶしに広辞苑を使って「たほいや」を遊んでいたときに知らされた事実であった。今でももっと早く教えてくれればよかったのに、と思う。
何がウソだったのか。Kさんは実は同じ大学に通っていたのである。そして、そのKさんはその後漫画家としてデビューすることになり、テレビのワイドーショーでも活躍するようになった。メディアでお見かけする度に、このことを思い出す。